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第三章 晴れの行方

十四 世長会

 宁麗文は長く重い溜息をついていた。その理由はもちろん、これから始まる世長会にて、どう三年前の杏華坊についての報告だ。宁雲嵐に今までの担当していた事件の報告内容を聞いたが全て一貫しているわけでもなく、所々違う点も含まれていた。つまるところ、彼の報告の仕方は当てにならないというか、参考にならなかった。  (どうやって言えばいいんだよ……唐公子も加わってくれればいいんだけど。ていうか本当に唐宗主は父上に言ったのか? 言ってないから私に回ってきたんじゃないのか?)  眉間を揉みながら段々と唐暁明に対しての苛立ちが混み上がってくる。そもそもこの問題は桂城唐氏が言うべきであって宁麗文が言うべきではない。ならなぜ、宁浩然は彼にそれを託したのか? それは彼にしか分からないが、きっと宁麗文の経験という理由で任せたのだろう……。  宁浩然は巻物をいくつか広げ、次々と各世家で起きた怨詛浄化の内容の報告を述べていく。それを全て述べてから巻物を全て戻し、宁麗文に顔を向けた。  「阿麗。ここからお前の報告の時間だ」  その一言に客間は一気にざわついて彼を見る。宁麗文は注目されるのが嫌で嫌で懐から取り出した扇子で顔を隠した。  「麗文。お前が言わないと世長会は終わらないぞ」  隣にいる宁雲嵐が弟の肩を手で揺らす。言う側に目が行くのは仕方がないし、確かにすぐに終わらせてしまえば後々楽になる。しかし、宁麗文は本当に、どうしても、自分の口からは言いたくなかった。  しばしの間扇子の内側で難しい顔をして、決意を露わにして扇子を下ろす。片手で拳を作り、口元に寄せて一つ空咳をする。この音にざわめいていた中が一気に静まり返った。  「……私から報告することは、三年前の桂城唐氏の管轄内である、現在は杏華坊と呼ばれる町での事件です」  「あ、杏華坊!?[#「!?」は縦中横]」  思わず口を挟んでしまったのは唐秀英だった。彼の声に唐暁明以外の周囲の目は彼に向けられ、唐秀英は慌てて顔を青くしながら口元を手で押さえる。宁麗文はなんとも言い難い顔をしながら頷く。  「まず、昔の桂城唐氏にはいくつかの町で飢饉が訪れ、一部では人食いが発生したとの過去がありました。前宗主はその問題に手をつけず、代わりに唐宗主が全て解決いたしました。唐宗主、そうですね?」  宁麗文の口を動かしながら目線を唐暁明に向ける。彼もまたもゆったりとした動きで「そうだ」とだけ答えた。  「その飢饉の原因は餓蝗。これらは全ての農作物を荒らし、益虫までも食い殺しました。残ったのは何もない土に何もない食糧、そして骨と皮だけになった人間だと聞きました。それが三十年ほど前でしたが、三年前にもあった町に再び飢饉が訪れ、唐宗主から任を受けた私と彼の息子である唐秀英殿が現場へ赴きました」  「そうです。宁二の若様、ここからは僕も申してもよろしいでしょうか?」  急に立ち上がった唐秀英にまたもや客間が騒然とする。それは宁麗文も例にもれなく、真剣な顔の彼に面食らった。  (なんで!?[#「!?」は縦中横] いや一緒に言ってくれるのはありがたいけど! もしかして私の情報がどこか間違ってたのか!?[#「!?」は縦中横])  唐秀英は真っ直ぐと自分に目線を向けている。宁麗文は一度唾を飲んで長い息をついた。元々は桂城唐氏の任務であって、宁麗文はその手伝いを任されたのみだ。ならば、この責任者である唐秀英と共に報告をすれば多少の|信憑性《しんぴょうせい》と情報量が増すだろう。  「はい。でしたら主な報告は私が、補足は唐公子にお願いしてもよろしいですか?」  「はい、大丈夫です。失礼します」  唐秀英は自分の席から離れて客間の中心に立つ。宁麗文も立ち上がって席を外して彼の隣に立った。彼ら二人が中心に立つのは肖子涵の報告以来だ。客間は二人へと視線を向けていて、それはとてつもない緊張感を漂わせる。宁麗文は少し唐秀英へと寄って耳打ちをするように囁く。  「あの、唐公子も唐宗主から何か言われたんですか?」  唐秀英は口角を上げたまま首を横に振る。  「いいえ。僕もいないと信憑性がないと思われそうだったので」  まさに神だと言えるだろう。宁麗文は心の中で彼に対して畏敬を表すように互いの掌を擦り合わせて拝む。唐秀英は彼の気持ちを汲み取ってわざわざ共に報告しようとしてくれたのだ。  (一人で報告するのは心細いと思ってたから、いてくれるだけで本当に助かる……! あと私の情報は間違ってなかったんだ! よかった……)  心の中でそっと胸を撫で下ろしてから前を向く。この先は宁浩然だ。  「まず、杏華坊という名前は事件が解決したあとに、現在は唐氏邸宅で働いている方が名付けたものです。理由は私情になりますので割愛とさせていただきます」  唐秀英の杏華坊の由来の補足を簡単に聞き、宁麗文も口を開く。  「私たちが向かった杏華坊にはおそらく、かつての唐宗主も見たことのある景色でしょう。畑は硬い土に覆われていて何も実っておらず、大通りは屋台が散乱していて荒れ果てていました。そして肝心の住民ですが、男性は全て他の町へと連れ去られ、残っているのは女性と子供、そして一人の老翁でした」  「ちょっと待て。老翁だって? 男は全員誘拐されたんじゃなかったのか?」  宁麗文の言葉を遮るように声を上げたのは秋都漢氏の宗主である漢博龍だ。宁麗文は宁浩然が毎回不機嫌そうに進行しているのか、その心情の正体が分かった。  「理由は後ほど言いますので、今はそれだけ覚えていてください」  頬をぴくぴくと引き攣らせてまた空咳をする。  「最初に私たちは農作物をするにあたり、畑を耕すところから始めました。酷く乾燥していたその土は硬く、掘り起こすのにも時間が掛かり、一日だけで住民の確認も行うのは不可能でした。そして私たちは近くの空き家を拝借し、夜を過ごしていると戸を叩く音が聞こえました。……餓蝗という邪祟です」  それに唐秀英が続ける。  「餓蝗は蝗の形を模した邪祟です。元々、僕たち桂城唐氏の管轄内に発生していて他の世家の管轄内には襲来せず、おそらく農作物を主とした町を対象にしていると思われます」  「そして二日目には住民の生存確認をいたしました。女性、子供、老翁を全て含めて二十人近くであり、全員衰弱状態でしたので軽い食事と運動を重ね、数週間後には彼女たちも畑仕事などの復興作業を行い始めました」  宁麗文は口から言葉を出すにつれて段々と記憶が明瞭になっていく。荒れ果てた町、衰弱状態の住民、餓蝗、死んだ敏の中にいた四蝗王、そして可馨と紅花。出せば出すほどに彼の顔色が青に移り変って頭の中がぐらぐらと揺れていく。小さく震える身体に気付いた唐秀英が宁麗文の背中を小さく叩いた。  「大丈夫です。僕がついてます」  唐秀英へ顔だけ向ければ、口元を上げて小さく頷いている。  (そうだ、この任務には唐公子も携わってたんだ。私だけじゃない)  宁麗文は小さく口を開けてから閉じて頷いて、顔色を戻して再び前へ向いた。  「私と唐公子は合わせて半年もの間、この杏華坊に滞在しました。誘拐された男性たちの行く先の特定がなされ、そちらは桂城唐氏の者が対処いたしました。私と彼は餓蝗について調べていたところ、亡くなった老翁に妖が寄生したことが原因だと判明いたしました。その妖は『四蝗王』と名乗りました」  『寄生する妖』という言葉に一同は小声で騒ぎ始める。本来の妖とは『魔が人を喰らい知識を持ち』始めてなるものだからだ。唐秀英は彼の背中を叩いた手とは逆の手で拳を作り、震わせる。  「……彼は、老翁は衰弱死でした。住民の皆さんと葬式をした数日後に表に出た四蝗王が彼女たちを襲いました」  「……」  宁麗文ははくはくと口を震わせる。あの四蝗王のただならぬ異臭と敏の皮と筋繊維か引きちぎられていく光景を思い出して口を手で覆った。  人の人ならざる姿へ変貌する姿や今までに嗅いだことのないただならぬ異臭を初めて目の当たりにしたのだ。これまで任務に駆り出されたことのなかった彼にとって、突然現れた異形に夢に出そうなほどの衝撃を頭に叩きつけられていた。宁麗文の額から脂汗が滲み出たのは病に倒れた時以外には到底あるものではなかった。  口を覆っている手を上げて鼻も覆う。息を詰まらせていた宁麗文の心臓はバクバクと鼓動を早めていて、全身が冷たくなっていく感覚がする。更に震える身体に叱咤して深呼吸を幾度か繰り返してやっと手を下ろした。  「四蝗王は私の兄である宁雲嵐が浄化を行いました。兄上、浄化後の彼の死体の報告をお願いいたします」  宁麗文は話の途中で宁雲嵐に身体を向ける。彼も頷いて立ち上がって服の裾を軽く払った。  「四蝗王に寄生された老翁は、既に脳を始め全身に餓蝗に覆い尽くされていて、もはや皮のみとなっていた。しかし対象はその皮膚を破っていたため、私が倒した直後には骨も皮も残らずそのまま塵となった。四蝗王と老翁に関する情報は以上だ」  「ありがとうございます」  宁兄弟は互いに頷く。宁雲嵐がまた着席して宁麗文は身体の向きを元に戻して唐秀英に目を向けた。彼も頷いて口を開く。  「そしてその後は他の町から男性が戻ってこられ、町の再復興が行われました。三年前経った現在は杏華坊の名前に負けず、杏の木が植えられ育てられています」  二人は唐秀英の言葉で最後に締めくくって両手を胸の前で仰いで報告を終える。席に戻った宁麗文はしばらく詰まっていた息による少しの酸欠でふらりふらりと身体を揺らしていた。顔の色は青から白へと変わりつつあって、隣にいた宁雲嵐が弟の背中を優しく摩りながら前を向く。  「お疲れさん」  宁雲嵐は世長会が終わるまで、弟の背中を摩り続けた。    世長会が終わった。各宗主たちは客間に留まって報告に挙げられていた幾つかの邪祟についての会議を始める。そして同じく報告を聞き終えた子息たちは客間から出て各自解散となった。この中では特に寄ることもせずに帰る者やお土産を買いにまわる者もいる。この中にいる宁麗文はおぼつかない足取りで無名へ戻って寝台に乗りあがって寝そべっていた。  報告の途中で思い出した二人の少女の顔が浮かぶ。父親の仇を討とうと剣を握り締めた黒髪の少女と彼女を説得して止めようと前に出た茶髪の少女を思い出す。瞼を閉じればこの裏に時が止まったかのような、紅花が可馨を殺した情景が浮かんだ。  紅花は人──親友を殺してしまった絶望を、可馨は親友を止められなかった絶望を、それぞれ表に出して、宁麗文の瞼が上がる。  宁麗文は両手で胸元を強く握り締める。  自分が可馨より先に出れば、紅花は人を殺さず、可馨は三年も経った今も生きていた。しかし宁麗文の手に何かの間違いがあれば今度は紅花が死を見て可馨は彼を強く責めていただろう。  宁麗文は身体を胎児のように丸める。  (助けられなくて、ごめんなさい)  杏華坊での事件以来の任務では目の前で人が死ぬようなものはなかった。だからこそ、初めての任務での事件が鮮明に浮かび上がってしまう。宁麗文の頭の中は己の無責任さを罵って不甲斐なさに己を殺したくなっていた。  宁麗文は身動ぎをして両手で顔を覆いながら重く息を吐く。  (あの時、肖寧ならどうしてたんだろうな)  宁麗文は肖子涵を思い出す。その場に彼もいた時の想像もする。きっと彼は真っ先に紅花から唐秀英の剣を奪っていたし、おそらく彼女を気絶させて両方とも身も心も無事でいさせられただろう。宁麗文は肖子涵を過信しているわけではない。ただ、彼ならやり遂げるだろうと思っていただけなのだ。  「……肖寧、元気でいるかな」  両手を顔から離して左手首を見る。光に反射しなくともその薄緑色の宝玉は輝いていた。宁麗文はあの夜の餓蝗から身を護ってくれた以降からこの腕輪を見る習慣がついた。あの時は低級の邪祟だったが、四蝗王の時は何も起こらなかった。この腕輪の示す邪祟への効果はどのぐらいなのだろう。どこまでが彼の身を守って、どこからが彼を守れないのだろうか。基準も分からずに一つ息をついて起き上がる。  その時に戸に音が鳴った。陰に映る背丈からして宁雲嵐のようだった。  「麗文。入るぞ」  「うん」  戸を開けて入る宁雲嵐は後ろ手で閉める。宁麗文は寝台に腰掛けたまま宁雲嵐と対面した。  「落ち着いたか?」  「なんとか」  「そうか」  宁雲嵐は弟の手首を掴んで引き上げる。首を傾げている宁麗文に口角を上げて手首を離した。  「お前に会いたがってる人がいるんだってよ」    宁麗文が慌てて邸宅を出る支度をして門を通り過ぎると、そこには数人の男が立っていた。  先程まで共に報告をした唐秀英と昨日に宁麗文を散々振り回した秦麗孝、そして秦麗孝の肩に腕を回しているのは秋都漢氏の息子である|漢沐熙《カンムーシー》だった。宁麗文は特に秦麗孝を見てがっくりと肩を落とす。  (なんだ、肖寧じゃないのか……)  「おいおい、俺たちが会いに来たってのに。なんだその顔は!」  秦麗孝は肩に置かれる腕を振り払わずに腕を組む。漢沐熙は苦笑しながら「まあまあ」と腕を肩から離した。  「宁麗文くんは他の誰かと会いたかったんじゃないのか? だからお前を見てがっかりしてるんだよ」  「はぁ!?[#「!?」は縦中横] その誰かって誰だよ。なあ宁麗文、なんか奢るから教えてくれ!」  秦麗孝はすぐさま宁麗文に駆け寄って両肩を掴んでガクガクと揺らす。宁麗文は先程まで寝転んでいたので、脳まで揺らされている感覚がして少し酔った。  「おいこら、やめろ」  漢沐熙が秦麗孝の首根っこを掴んで宁麗文から引き剥がす。宁麗文は漢沐熙に心の中で心の底から感謝をした。  漢沐熙という男は、茶に近い黒髪を頭の上に綺麗にまとめているが毛先は出している。しかしかなり丁寧にまとめているからかみっともなく見えない。顔つきは秦麗孝よりかは優しく、唐秀英よりかは凛々しい。秋都漢氏だと決定付ける茶の服を着て、腰には|蹀躞帯《ちょうしょうたい》が着けられていてそこから流れる帯に頑丈な嚢や剣を携えている。  今まで関わりのなかった二人にかなり困惑している宁麗文に唐秀英が隣に立つ。  「宁公子。とりあえず、一緒に食事でもしませんか?」  四人は青天郷を通って宁麗文と秦麗孝が昨日訪れた食事処とは違う場所を選んだ。空いている卓はどこにもなかったので店員に聞いて上階の個室を借りる。  それぞれ卓を囲んで注文をして、すぐに届けられた酒や餃子や小籠包などの点心や鶏肉の蒸し焼き……など、卓に乗せきれるかそうでないかというほどの量が届いた。宁麗文、唐秀英、漢沐熙はそれぞれが頼んだ料理の数を確かめ、そして余った料理の数を全て秦麗孝に当てはめる。確実に彼らよりも多く頼んでいる秦麗孝に宁麗文は目を釣り上げ、唐秀英は呆れ、漢沐熙は口元をひくつかせる。様々な反応を見せる三人を前にしても秦麗孝はただ変わらずに目を弧に描くばかりだ。  「お前さあ……」  「ん? 何?」  「秦兄さん……」  「別にいいだろ、どのみち腹減ってんだからさ」  「……このっ……」  多種多様な反応を見せた三人は秦麗孝へ顔を向ける。  「頼みすぎだ!![#「!!」は縦中横]」  そして一字一句完璧な拍子で呆れ叱った。  各自頼んだ料理に手をつけていく。宁麗文は唐秀英と秦麗孝とは一体一で食事をしたことはあれど、こうやって家族以外で、ましてや初対面と言ってもいい漢沐熙も含めた大人数で卓を囲むことは人生で初めてだった。それがあっての緊張からか食指が進まなくなっていく。彼の強ばる表情を見た漢沐熙が気を利かせてか、なくなりつつあった小籠包を追加で頼んで宁麗文の前に置く。宁麗文は顔を上げて置いた男へと頭を向けた。  「そんなに固くならなくていいよ。俺たち友だちだからさ、肩の力抜きなよ」  「友だち……」  宁麗文は小さく、やや戸惑うように言葉を反芻する。  今まで友人だと思えた者は肖子涵のみで唐秀英も秦麗孝もただの他人だと思っていた。唐秀英に関しては半年も共にいたので少なからず友人なのではないか、との期待を浮かべていた。しかし結局今に至るまでどちらも敬語を使っていてまだ壁があるように感じられたのであくまで共に任務を遂行する仲間なのだろう、と本人に聞かずに勝手に肩を下げていた。  まだ戸惑いを隠せない宁麗文が唐秀英へ頭を動かす。視線に気付いた唐秀英もまた頭を向けて口元から箸を離して蒸し鶏を飲み込んだ。  「どうかしましたか?」  「と、……唐公子……私たちって……友人なんですか?」  「そうですよ。……って、え!?[#「!?」は縦中横] 違ったんですか!?[#「!?」は縦中横]」  唐秀英は宁麗文を友人だと決めていたようで、その価値観の違いに箸を床に落としてしまった。慌てて拾い上げて自分の服で拭ってから空の器に乗せる。  「ぼ、僕はずっとあなたのことを友だちだと思っていたんですけど……」  「え、そうなんですか?」  「そうですよ!?[#「!?」は縦中横] 違うんですか!?[#「!?」は縦中横]」  まだ戸惑いが収まらない唐秀英に宁麗文は首を傾げるばかりで、漢沐熙は乾いた笑みを浮かべながら酒を呷る。秦麗孝は骨付き肉を頬張りながら宁麗文へ顔を向ける。  「俺はお前のことダチだと思ってるぜ!」  「いや、君とは違うから」  「なんでだよ!」  否定され不貞腐れる秦麗孝に漢沐熙が最初に笑い、釣られるように唐秀英も笑い声を上げる。二人の笑う声に目を点にしていた宁麗文だったが、それでも居心地の良い空間で二人と同じように少し噴き出した。当の本人の秦麗孝は眉を顰めながら骨付き肉を最後まで食べきって、それでも尚拗ねていた。  空の器が増えて店員が下げていくところで漢沐熙が口を開く。  「そういえば、宁麗文くんに俺たちの関係を言ってなかったな。唐秀英と秦麗孝のとこは交易関係ってのは知ってるだろ?」  「うん。唐公子から聞いた」  「じゃあ、俺と秦麗孝はどういう関係だと思う?」  「え?」  にこにこと目を弧にする漢沐熙とまだ不貞腐れている秦麗孝を前にぽかんと口を開ける。  (どういう関係って……? 交易じゃないのか? これ以外に何があるんだ……?)  宁麗文は腕を組みながらうんうん唸って、分からずに食後の茶を飲んでからまた考え直す。しかしそれでも分からずに眉間を揉んでみるが意味もなく、結局のところ上半身を卓に乗せて根を上げてしまった。  漢沐熙はうつ伏せになっている宁麗文の頭のてっぺんを見ながら軽く笑う。  「ははは、分からないだろ。実はな、従兄弟にあたるんだ」  「従兄弟!?[#「!?」は縦中横]」  衝撃の事実に寝そべっていた上半身を上げる。漢沐熙は片眉を上げながら頷いた。  「そう、従兄弟。俺の父親とこいつの母親が兄妹なんだ。そんでそれぞれ結婚して産まれたのが俺とこいつってわけ」  漢沐熙は話を続けながら秦麗孝の肩に腕を回す。秦麗孝はそれもお構いなしにまだ残っていた肉料理に手をつけていた。  宁麗文はそれぞれの顔をまじまじと見つめる。確かに秦麗孝と漢沐熙の目元は少し似ていて、大まかな雰囲気も若干似ている。しかし、各世家の家訓があるからか、顔つきと体格が似ていても細かい点までは似てはいなかった。  「世家同士で結婚なんてあるんだな」  「そうだぜ。当たり前に決まってるだろ、じゃないとお前もこの江陵宁氏として産まれてない。世家同士で結婚することでお互いがお互いに助け合うんだぜ。ちなみに俺の姉ちゃんも今度結婚する」  秦麗孝はにやりと片方の口を横に伸ばす。宁麗文は次々現れる事実にただただ口を開けるばかりだ。唐秀英が口を挟むように上半身をずいっと卓に寄せる。  「宁公子はあまり聞かないですよね。彼女──|秦雪玲《シンシューリン》さんは膳無秦氏の長女にあたり、秦兄さんの姉になります。秦兄さんは極度の姉好きなんですよ」  「おい! そんな誤解招くようなこと言うなよ。俺はただ単に姉ちゃんが好きなだけだ」  「それのことを言ってるんだよ。まんまお前じゃないか」  漢沐熙は従兄弟の肩から腕を離す。呆れた顔を正して口角を上げて宁麗文に顔を向けた。  「俺たちはこれから膳無に行くんだ。あんたもどうだ? こいつの姉さんも喜ぶぜ」  「なんで?」  「秦麗孝が世長会のことを姉さんにずっと愚痴ってるんだ。そしたらあんたに会いたいって言い始めてさ」  秦麗孝は箸を空の器に静かに置いて卓に肘を乗せて顎を支える。その顔には漢沐熙よりもいい笑顔が浮かんでいた。  「お前も来いよ。 ずっと姉ちゃんに紹介したいと思ってたんだ! お前が来たら姉ちゃんは喜ぶし俺も嬉しくなる。それに、膳無もいいところだから絶対飽きねえと思うぜ」  それを聞いた宁麗文の心が大きく揺れ動いた。  世家同士の結婚による従兄弟、そして今だ存在すらも知らなかった秦麗孝の姉。世の中にはまだ知らないことが多すぎる。  (もっと知りたい)  宁麗文は揺れ動く心に胸が高鳴って唾を一つ飲む。隣の、目の前の三人を前にして口角を上げることもなく、しかし期待に胸を膨らませた。  「行くよ」    その後は残った酒を全員で飲んでいた。宁麗文は盃を持ちながら半目で薄ら笑いを浮かべていて唐秀英は泣きながら卓に突っ伏して自分のやらかした過去を暴露している。その反対に秦麗孝は更に陽気な性格に変わってか笑いながら唐秀英の隣で背中をバンバンと叩いていて、漢沐熙はこの四人の中で酒に強いのかその様子を見て呆れながら笑っていた。  漢沐熙は自分を除いた三人の中でまだまともな宁麗文の肩に肘を掛ける。  「やっぱりこいつらの飲み方は前と変わんねえな……その点あんたはすごいよ。ここの地酒って辛口なくせして後味はすっきりしてる。確かに度数は高いだろうが、町の様子を見るに万人受けはしてるだろうな。こんな酒を飲める江陵の人が羨ましいよ。土産にひとかめ買って帰ろうかな?」  漢沐熙はまだ残っている酒をかめのまま飲み干す。口端に残った酒をひと舐めして卓に置いて宁麗文を見る。何も反応しない彼に漢沐熙は眉を上げながら肘で肩を揺らすと、宁麗文は頭を横と上下に揺らした。異変に気付いた漢沐熙は肩から肘を離して彼の前に手を振ると、宁麗文はぽろぽろと泣き始める。その様子を見た漢沐熙は目を丸くして顔を下から覗いた。  「おーい? 宁麗文くん? あれ、あんたって酒に強いんじゃなかったのか? なんで唐秀英と同じくらい泣いてんだ? いや、こいつよりかはマシか?」  「……肖寧……」  「え?」  漢沐熙は聞き間違えたのかと思った。宁麗文の口から『本当は会いたかった人』の名前が出たのだ。宁麗文は絹のように繊細で、真珠のような白い肌に様々な感情を乗せた涙を滑らかに落としていく。その薄い唇からは小さく肖子涵の名前を出していた。漢沐熙は丸くした眼を戻して眉を下げる。  「はあ、あんたの会いたい人ってのは肖子涵のことか。そりゃあがっかりするのも納得だ。唐秀英から聞いたんだが、確か数年前から閉関してるんだったか? 俺たちの誰もが何も見てないし伝達術だって使わない。肖子涵は元々気難しい性格をしてるだろうし、実際どこか避けられている気がするんだよな。……でも、あんたのその様子だと、肖子涵とすごく仲が良さそうだな?」  「うん……」  宁麗文は一つ瞬きをしてまた涙を零す。小さい嗚咽を出してから鼻水をすすっていく。  「肖寧は……私の一番最初にできた友人なんだ。二日ぐらいしかいられなかったけど、華伝投にも見に来てくれたし、外の世界を知らなかった私に、買い物の仕方も、教えてもらった……埜湖森で、御剣の練習にも、付き合ってくれて……凶鶏、から守っ、てくれた、のもっ……」  肖子涵との思い出を次々に吐き出しては涙も鼻水の量も増えてきて、しまいには嗚咽を盛大に撒き散らしながら瞼を閉じて泣き喚き始めた。盃の中の酒を一気に飲み干して、唐秀英と同様に卓に突っ伏して腕で顔を押さえながら小さい子供のように泣く。  「なんでだよお! なんで閉関なんてしたんだよお! 私が未熟だからなのか!?[#「!?」は縦中横] 御剣のことだって、修士だから、やって当たり前だから、練習見てくれただけなのかよお! このバカ! バカバカバカ! 許すかバカ! 許さないぞ!![#「!!」は縦中横] うわああああああん!![#「!!」は縦中横]」  漢沐熙は彼の行動に引いていた。また、とんでもないことを聞いてしまったとも後悔した。彼はどういう感情を持ってして宁麗文に声を掛ければいいかも分からなかった。もう空になった酒かめを持っても酒は一滴も残っていないので呑めやしない。  漢沐熙はこの三人の様子に途方に暮れるしかなかった。  (……どうすればいいんだよ……)  ちらりと従兄弟を見れば陽気になっている姿で、仕方なく立ち上がって三つ編みをした頭を小突くように軽く叩いてから隣に座る。秦麗孝は子供のような無邪気な笑顔で漢沐熙に顔を向けてまた酒を飲む。  「なんだ? なんで俺の頭叩いたんだ?」  漢沐熙は片頬を上げて鼻から息を少し吐いた。  「いや、世の中にはいろんな人がいるなって思ってさ」  「そりゃあ当たり前だろ。俺みたいな|曠世之才《こうせいのさい》【比べるものが存在しないほど優れていること】もいるし、お前みたいな面倒見のある奴もいる。唐秀英みたいな優男もいれば宁麗文のような世間知らずもいるんだ。十人十色だぜ? むしろ同じ性格の奴がいたら気持ち悪いだろ!」  「お前さあ。唐秀英と宁麗文くんに聞こえたらどうするんだよ。まあ確かに全員同じではないのはそうだな。姉さんもお前と同じ性格だったら俺の負担が更に大きくなるし、そう考えたらまだまともでよかったよ」  「なんだよ、姉ちゃんの悪口か?」  「違えよ。そんなわけあるか」  秦麗孝の言葉に眉を顰めた漢沐熙は眉間を揉んで、それでも笑う秦麗孝はこれまた陽気に呆れている従兄弟の肩に腕を回す。続けて秦麗孝は盃に開けて残っている酒を一気に飲み干して小さくゲップをする。浅黒い肌が赤みがかっていてもお構いなしというようにへらへらと笑っていた。  漢沐熙はこの三人を置いて帰ってしまうのもなんだか申し訳ないと考え、しかしここは食事処なのだから長居するわけにもいかないとも考える。しばらく熟考した結果、仕方なく店員を呼んで近くの宿へ五、六人がかりで宁麗文、唐秀英、秦麗孝を運んでいく。宁麗文に関しては邸宅があるのだが、このまま帰してしまっては宁浩然に何か説明をせざるを得ない。三人を部屋に届けた漢沐熙は伝達術で宁雲嵐を呼んで宁麗文を迎えに来てもらった。  「申し訳ありません。完全に俺の落ち度です」  「ははは、いいよ。それにしても、麗文はたくさんの友人を作ったんだな」  漢沐熙は苦笑する。  「最初は俺たちのことを友だちだと思っていなかったみたいです。でも最後は笑ってましたよ」  宁雲嵐は目を弧に描いて漢沐熙の肩に腕を回す。暗くなってか所々星が見える空を仰いだ。  「あいつには人が必要だからな」  漢沐熙もまた宁雲嵐と同様に空を仰いでから横顔を見る。  「四年前までは病弱に病弱を重ねたぐらいに身体が弱かったんだ。それで何度も友人を作りたいだの外の飯を食べたいだの、いろんな場所に行きたいだの……それがようやく叶い始めてきたんだ。俺が無理やり怨詛浄化に連れてっているんだが、それでも楽しそうにあっちこっち見てまわってる。友人だって、最初は肖子涵殿だけだったんだ。でも、今はこうやってあんたらとも飯を食ってる。俺からも感謝するぜ。ありがとうな」  漢沐熙は突然の褒め言葉に顔を真っ赤に染める。すぐに両手を横に振って首も横に振った。  「えっ、い、いや。俺たちは特に……でも、宁公子にそう言われるのは光栄です」  宁雲嵐の腕が肩から離れて漢沐熙の背中を叩く。思ったよりも力が強かったようでむせてしまった。  「それで、明日はどうするんだ? もう世長会は終わったし、多分だけどこの先は怨詛浄化の依頼も少なくなる。まだウチの青天郷を見てまわるのか?」  漢沐熙は口角を上げてまた首を横に振った。  「いえ、明日は膳無へ行きます。秦麗孝の姉さん……秦雪玲さんが宁麗文くんに会いたがっているので、連れていこうかと思いまして。彼も行きたいと言っていたので、連れていくつもりです」  「そうか。まあ、明日は宿にいてくれ。俺から麗文に行くよう伝えておくから、あんたはもう戻って寝な」  「はい、ありがとうございます。宁麗文くんは部屋にいます」  「分かった」  宁雲嵐は漢沐熙に着いていって三人分の部屋に入って自分たち以外の三人が各自の寝台に横になっているのを見る。その中でも漢沐熙の寝台には泣き疲れて目を腫らしている宁麗文がいた。  「これはどうしたんだ?」  訝しげに片眉を上げて弟を見つめながら漢沐熙に聞く。彼の口からは乾いた笑いしか出なかった。  「色々あったんですよ……」  その表情と声色からすると弟はこの青年たちに相当迷惑を掛けたのだろう。宁雲嵐は呆れの息を一気に吐いてから弟をおぶって漢沐熙に顔を向けた。  「それじゃ、明日はよろしく頼む」  「はい」  漢沐熙が胸の前で両手を仰いで、宁雲嵐は拱手の代わりに片方の口を上げた。会釈を交わしてから宿を出てまた夜空を見上げる。  星空は先程よりも綺麗に見えていて、大小様々な形を模していた。  「麗文、本当によかったな」  その言葉は宁麗文に届いているだろうか。少し笑って顔を前に向けて、宁麗文をおぶり直してから邸宅へと向かう。その間も弟の生きている温もりを感じて、これまでの思い出に浸りながら歩いて帰った。