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第一章 始まりの君

二 前日祭

  ──それから四ヶ月後。|宁雲嵐《ニンウンラン》が先に出向いた件の|凶鶏《キョンチー》事件には悲しいことに最後まで参加できなかった。|宁麗文《ニンレイウェン》はそのことに大変落ち込んでしまい、|無名《むめい》に引き籠もることも多々あった。  「どうして……」  |宁麗文《ニンレイウェン》の口から溢れ出たのは短い不満と落胆による溜息のみだった。寝台に寝転びながら本を読み、食事の時間になれば渋々部屋を出る。せっかく|結丹《けつたん》したというのに、鍛練や瞑想を怠ってなんとも情けないことだろう、怠惰な生活を送っていた。そういう毎日に浸っていると遂に堪忍の尾が切れた|青鈴《チンリン》が|無名《むめい》の戸を思いきり開ける。  「いい加減にしなさい!! ほら、さっさと部屋から出る!」  中に入ってきた彼女を鬱陶しく思っていると、それに気付いたのか鬼と化した|青鈴《チンリン》が彼の腕を引っ張って引きずり出す。いやいやと引っ張られながら|無名《むめい》から出ると、外には|宁雲嵐《ニンウンラン》ともう一人の男がいた。  「君は……」  白の毛皮を端になめした|臙脂《えんじ》色の分厚い|外套《がいとう》に身をまとっていて、そこから見える黒ずくめの中にわずかな|臙脂《えんじ》と金が目立つ。艶のある黒い髪は高く結い上げられていて、それを|外套《がいとう》と同じ|臙脂《えんじ》の髪紐でまとめている。眉は太いがそれほど威圧感はなく、切れ長の目には|漆黒《しっこく》の瞳が存在している。鼻筋は高く、|宁麗文《ニンレイウェン》にとってはおそらく今まで見た中でも一番端正な顔立ちだろう。  その男は、|肖子涵《シャオズーハン》だった。  「お前も見たことあるだろ。半年ぐらい前にいた奴だよ」  |宁雲嵐《ニンウンラン》は|肖子涵《シャオズーハン》の肩に肘を乗せて笑う。|宁麗文《ニンレイウェン》の|双眸《そうぼう》には久しぶりに会った人物に夢中になってしまっていた。  (どうしてここに? 何か問題でもあったのかな)  戸惑いを隠せていない彼に|肖子涵《シャオズーハン》が|拱手《きょうしゅ》を向ける。  「改めて名乗らさせていただく。姓は|肖《シャオ》、名は|寧《ニン》、|字《あざな》は|子涵《ズーハン》。あなたの名前は|宁雲嵐《ニンウンラン》殿から聞かせてもらった」  彼の礼に|宁麗文《ニンレイウェン》も慌てて胸の前で手を掲げる。その際に顔も伏せてしまったが、おそるおそる上げてみると彼はそこにいたままで手を下ろしていなかった。|宁麗文《ニンレイウェン》が手を下げれば|肖子涵《シャオズーハン》も続けて下げる。  凛々しく、|宁麗文《ニンレイウェン》よりも背丈も|体躯《たいく》も段違いな彼だが、丁寧な作法に素晴らしいの一言がつけられるだろう。|宁麗文《ニンレイウェン》はぼうっとその魅力的な姿かたちに見蕩れてしまっていた。  (|洛陽肖《らくようシャオ》氏の教育はこんな些細なところもしっかりと植えつけられてるんだ。服の乱れなんて全くないし、雰囲気だってちょっと冷たいけどそこまでじゃない。多分……ううん、私より修位もずっと高いんだろうな)  懐から取り出した扇子を広げて口元を隠して|宁雲嵐《ニンウンラン》を呼ぶ。彼は|肖子涵《シャオズーハン》から離れて弟へ寄った。  「なんでこの人がここにいるんだ? 兄上が呼んだの?」  |宁雲嵐《ニンウンラン》は首を横に振る。  「ここ最近の事件がないか探し回ってたらウチの近くに来てたらしい。ついでに|凶鶏《キョンチー》事件に参加できなかったお前を心配して来たんだってよ。よかったな」  「よかったなって……」  扇子を軽く扇ぎながら|肖子涵《シャオズーハン》を見る。彼もまた自分を見つめていたようで、視線が合えば気まずくなって扇子を閉じた。瞼を閉じて拳を口元に当てて軽く咳払いをして扇子を懐に入れ、瞼を開けて彼をまっすぐと見上げた。  「|肖子涵《シャオズーハン》殿。ご心配に感謝します。実はここ半年ほど前まで鍛錬に力を注いでおり、それ故に事件の助太刀に参ることができませんでした。ですが、今後から──」  「構わない」  |肖子涵《シャオズーハン》が彼の言葉を遮ったことに、最後まで紡げなかった|宁麗文《ニンレイウェン》はぽかんと口を開けてしまう。|宁麗文《ニンレイウェン》とその隣にいた|青鈴《チンリン》、そして|宁雲嵐《ニンウンラン》も彼と同様に唖然としていたが、その中にいた|青鈴《チンリン》が慌てて宁兄弟の前へ出て特に|宁麗文《ニンレイウェン》に顔を向けた。  「|麗文《レイウェン》、まだ外に出てなかったでしょ。ちょうどいいわ、今日は|華伝投《かでんとう》の前日祭だから町に出かけてきなさい」  「前日祭!?[#「!?」は縦中横]」  |宁麗文《ニンレイウェン》は目を輝かせ、しかし|肖子涵《シャオズーハン》がいることを思い出してすぐに表情を消す。実は彼の人前ではしゃぐ姿は|宁雲嵐《ニンウンラン》と|青鈴《チンリン》以外に見せたことがないのだ。|肖子涵《シャオズーハン》はそんな彼を見ても何も思わず「|華伝投《かでんとう》ですか」とだけ返した。  |華伝投《かでんとう》というのはここ|江陵《こうりょう》の毎年の恒例行事で|江陵宁《こうりょうニン》氏の先祖の祀るものだ。これまで|宁麗文《ニンレイウェン》以外の一族はこれに参加をし、宗主である|宁浩然《ニンハオラン》が|祝詞《のりと》を唱えながら咲き乱れた沢山の種類の花を術で雨のように降らして祀っていた。|春節《しゅんせつ》【中国の旧正月】という祝日もまた存在していて先祖を祀るのもあるが、|華伝投《かでんとう》は初代宗主の命日に合わせて行っているのだ。今年からは|宁麗文《ニンレイウェン》も|江陵宁《こうりょうニン》氏の一族としての参加になる。この喜ばしい事実に本人はいても立ってもいられず、|華伝投《かでんとう》に関する話題になれば目を輝かせる。そしてそれを今、|肖子涵《シャオズーハン》の前で全面に出してしまったのだ。  「あんたも参加するんだし、まずは町の様子でも見てきなさい。楽しいところなんだから、思う存分遊んできなさいよ。そうしたら明日は皆に知ってもらえるでしょ」  「でも。今日は前日祭で町に行くだろ。それで私が明日、いきなり|華伝投《かでんとう》に参加なんてしたら、変な目で見られたりしないか? それなら今日だけでもいいかな……」  「なあに、心配はいらないぞ。父上がこの日のために令を敷いているんだ。これで堂々と道を歩けるぞ。あっでも俺たちが歩いてたらそれこそ話題になっちまうか、ははは!」  陽気に笑う兄に|宁麗文《ニンレイウェン》は呆れ笑いを返してから|肖子涵《シャオズーハン》に顔を向ける。  「君は|華伝投《かでんとう》を見たことは?」  「いや。|江陵《こうりょう》は何度か来てはいるが、観光まではしていなかった」  「じゃあ、|肖子涵《シャオズーハン》殿も見に行けばいいし、なんなら今から行ってくるといい。|麗文《レイウェン》のいい護衛にもなるだろ」  「兄上!?[#「!?」は縦中横]」  |宁麗文《ニンレイウェン》は愕然とした表情を浮かべ、すぐに兄の二の腕を掌で何度も叩く。|宁雲嵐《ニンウンラン》は痛くも痒くもない様子でただ笑う。|青鈴《チンリン》は義兄の言動に呆れ笑いを浮かべていた。  「いいだろ。このままじゃお前はどこも行かないんだから」  「そっ……そういうわけじゃないけど、その、私が他人と話すところなんて見たことないだろ! ましてや一緒に行動するなんて。兄上は気でも狂ってるのか? それとも狂ったのか? ほら|肖子涵《シャオズーハン》殿も困ってるだろ、勝手に相談もなしに決めつけるのはやめてくれよ。あの人と一緒に行って困らせるぐらいなら兄上と一緒に行った方がいいよ。ていうか今すぐ行こうよ! あの人と二人は絶対気まずいって!!」  「そんなに喋れるなら問題ないだろ」  「私の話聞いてた!?[#「!?」は縦中横]」  「あの」  |肖子涵《シャオズーハン》が二人に声を掛けたところで|宁麗文《ニンレイウェン》は我に返ってすぐに彼へ振り向く。  「俺でよければ」  「嘘ぉ!?[#「!?」は縦中横]」  |宁雲嵐《ニンウンラン》は目を白黒とする弟の背中を豪快に叩く。その表情には|天真爛漫《てんしんらんまん》でまるで面白がっているように見えた。  「決まりだ。ほら|麗文《レイウェン》、準備しろ。|肖子涵《シャオズーハン》殿は客室に連れていくから、支度が終わったら来い」  「いや、あの、ちょ……」  |宁麗文《ニンレイウェン》の言葉に耳を貸さずに|宁雲嵐《ニンウンラン》と|肖子涵《シャオズーハン》は中庭から去る。残された|宁麗文《ニンレイウェン》は手を伸ばしていたが、それもやめて下ろして空を仰いでやや落胆するように肩を落とす。視線を空から|青鈴《チンリン》に通せば彼女も二人を見送った直後の視線に気付いて顔を上げた。  「|青鈴《チンリン》……助けてくれ……」  彼女は乾いた笑声を出して彼の肩を軽く叩く。  「まあ、行ってきなさい」  そうして二人を追うように|宁麗文《ニンレイウェン》から離れていった。  (私の味方はいないのか……?)  |宁麗文《ニンレイウェン》は晴天を泳ぐ鳥に心なしか腹が立ちつつも、せっかくの客人を待たせてはいけないと頭を振ってまた|無名《むめい》に戻った。    生まれて初めての外に、それも町へ歩を進める機嫌のいい|宁麗文《ニンレイウェン》と、感情が読み取れない|肖子涵《シャオズーハン》は至る場所に開かれている店を見つめながら練り歩く。  ここは『|青天郷《せいてんきょう》』と呼び、|江陵《こうりょう》の中でも一番栄えている町だ。  |宁麗文《ニンレイウェン》はどれもが目新しく、特に何を手にするわけでもないし、してもいいかも分からずにその場を過ぎていく。しかし星が煌めくような目でじっと商品を見つめているので、|肖子涵《シャオズーハン》はその彼の様子を見ながら少し首を傾げていた。  「あっ、|山査子《さんざし》飴だ。家にあるものと作り方が違うんだな」  「家にあるものとは?」  「棒に刺すんじゃなくて、そのまま飴に絡めるんです。|山査子《さんざし》も父上が特注で頼んでて……美味しいんですけど、やっぱり串に刺したものが食べたいんですよね」  甘いものが好きな|宁麗文《ニンレイウェン》にとって、町の屋台にある|山査子《さんざし》飴というものは喉から手が出るほどに欲しいものだった。それでも家ではその夢は到底叶うわけではなく、いつも出されるのは串のない、器の中に入れられている飴に包まれている|山査子《さんざし》だった。それを食べながらいつか家から離れた時に食べると決めていたのだ。  |肖子涵《シャオズーハン》は|山査子《さんざし》飴の屋台へ向かい、不思議に思った|宁麗文《ニンレイウェン》も彼に着いていく。|肖子涵《シャオズーハン》の手にはいつの間にか|財囊《ざいのう》【財布】が握られていて、その結び目を解いてから「飴を一つ」と中から銀貨を取り出して置いた。  「えっ!?[#「!?」は縦中横]」  |宁麗文《ニンレイウェン》の声を聞かないふりをする|肖子涵《シャオズーハン》は顔に薄く皺がある、少しふくよかな中年の女店主から艶のある|山査子《さんざし》飴を受け取る。そしてそれをそのまま|宁麗文《ニンレイウェン》に突きつけて、戸惑う彼に瞬きをした。  「いらないのか?」  「えっ、あ。ありがとう、ございます」  |肖子涵《シャオズーハン》から|山査子《さんざし》飴を受け取り、自分の手中にあるそれをまじまじと見つめる。  |黄金《こがね》色の飴の中に瑞々しく見える|山査子《さんざし》は輝いていて、琥珀に閉じ込められたように見える。ほのかに香るのは甘酸っぱい果実の匂いで、それと共に甘い飴が|鼻腔《びこう》を充満していく。|宁麗文《ニンレイウェン》は外で見た飴に瞬きを繰り返しながら口を噤んだ。  (言ってみただけなのに。どうして買ってくれたんだろう)  それでも念願の串に刺したもので、見ているうちに口から涎が湧いていく。小さく口を開いてそれにかぶりつき、一口より小さい分の飴と|山査子《さんざし》を中に入れた。  「美味しい……!!」  あまりの好みの味にぱっと明るくなった顔で次々と食べていく。半分になったところで急に我に返って目の前の|肖子涵《シャオズーハン》を見た。恥ずかしさに熱くなった顔で、今度は小さく食べていく。  (人前でみっともないことしちゃった……恥ずかしい……)  己を恥じながら、二人に顔を見られないように俯いて最後まで食べ終えてから女店主に身体を向ける。  「美味しかったです。ありがとうございました」  |宁麗文《ニンレイウェン》から声を掛けられた彼女は瞬いてぽかんと口を開ける。それに|宁麗文《ニンレイウェン》は首を傾げ、|肖子涵《シャオズーハン》は何も言わずに彼から串を取って懐から出した|懐紙《かいし》に包みながら二人を目で交互に見る。  「何か顔についてましたか?」  我に返る彼女は小さく噴き出して困ったように笑う。  「いやね、違うのよ。あなたみたいな綺麗でお若い貴公子様が、こんな|山査子《さんざし》飴で子供みたいにはしゃいでるのが可愛くて。それに、食べたあとにお礼を言う人も中々いないのよ? 子供なら母親に言われて『ありがとう』って言うのは何人も見たけれど。でも、あなたみたいなお若い人では初めて。何十年もやってきたけど、やってきてよかったわ。こちらこそありがとうね」  にこにこと笑いかける女店主に|肖子涵《シャオズーハン》も軽く会釈をして隣の男の腕を取ってこの場から離れる。|宁麗文《ニンレイウェン》は面食らって引っ張られながらも「また食べに来ます!」とだけ返してその場から離れていった。  人通りが多くなっていく場所を歩きながら|宁麗文《ニンレイウェン》は隣の男を見る。|肖子涵《シャオズーハン》もまた彼を見つめ返して首を小さく傾げる。先に|宁麗文《ニンレイウェン》が止まれば数歩を過ぎて|肖子涵《シャオズーハン》も止まった。  「そういえば、君の年齢を聞いてませんでした。おいくつですか?」  それにすぐ我に返って苦笑する。  「失礼でしたね。すみません」  悲しいことに家に出た直後の話題が分からず、この|宁麗文《ニンレイウェン》という男は年齢を聞くことしかできなかった。それもそのはず、彼は生まれて初めて家族や|門弟《もんてい》、|家僕《かぼく》などと|江陵宁《こうりょうニン》氏とそれに関わる人間以外と話すのだから、それ以外の人間に緊張するのは当たり前なのだ。  (もうちょっと気がきけることぐらい言えないのかよ……)  心中で己を重く罵りながら気まずいまま俯いて口を噤む背の低い男に|肖子涵《シャオズーハン》は瞼を少し伏せた。  「あなたと同じくらい」  |宁麗文《ニンレイウェン》は上から掛かった声に顔を上げる。  「同じ……十八歳ですか」  「ああ」  「ああ、そしたらかしこまるのは不自然ですね。えっと……」  「|肖寧《シャオニン》だ」  「|肖寧《シャオニン》」  |肖子涵《シャオズーハン》はしっかりと頷いて|宁麗文《ニンレイウェン》の薄茶色の|双眸《そうぼう》をじっと見つめる。|宁麗文《ニンレイウェン》もまた彼の黒色の隠れていない|隻眼《せきがん》を見つめ返してまた彼の名前を繰り返した。一つ瞬いて眉を上げた|宁麗文《ニンレイウェン》がにっこりと微笑んだ。  「そっか。なら、私のことも|宁巴《ニンバー》って呼んでほしい。家族以外の誰にも……ううん、誰からも言われたことがないんだ。どうせなら、一番最初にできた友人に呼ばれたいな」  その言葉に|肖子涵《シャオズーハン》は瞬きをする。|宁麗文《ニンレイウェン》は返した言葉を頭の中で|反芻《はんすう》して途端に顔を赤くする。  (なんてことを言っちゃったんだ!?[#「!?」は縦中横] バカなこと言ってどうする、困ってるだろ!)  心の中で頭を抱えながらも、すぐに我に返って目の前の男にぎこちない笑みを浮かべる。  「あー、いや、その、えっと。一番最初の友人、じゃない、その……呼んでほしいのはそうなんだけど、違うんだ。普通は|字《あざな》で呼ぶべきなんだけど、その、君に|倣《なら》って言ったわけで。違っ……ああもう、なんでこんなに言葉が出てこないんだ。恥ずかしい……」  「恥ずかしい」の最後の声は段々と小さくなって遂に彼自身だけが聞こえる声量になる。両手で自分の顔を覆って俯いたが手に触れても分かるほどに熱くなっていて、それに加えて晴天でもあるからか、より体温が上昇していくように感じていた。  「分かった」  |肖子涵《シャオズーハン》の声に|宁麗文《ニンレイウェン》は手を下ろして見上げる。晴天の下の彼の口元がわずかに上がっていることに気付いた。  (もしかして、私と同じで私が初めての友人だから呼ばせたかったのかな?)  ありもしない考えが膨らんで、熱を冷ますように手を動かしながらその考えを打ち消した。|宁麗文《ニンレイウェン》が懐から扇子を取り出して扇いでいると、|肖子涵《シャオズーハン》が彼の目を見る。  「もう少し歩こう。この先に舞台があると聞いた」  「舞台……ああ、|華伝投《かでんとう》のためのあれか」  |肖子涵《シャオズーハン》は彼の言葉に頷いて行き先に身体を向ける。|宁麗文《ニンレイウェン》も身体を向けてから二人でまた歩き出した。  |宁麗文《ニンレイウェン》の目の先に興味を示せば|肖子涵《シャオズーハン》がそれを買って彼に渡すという行動を三、四回ほど繰り返し、そうこうしているうちに明日の|華伝投《かでんとう》をやる舞台が目の前に立った。  それは白い|漆喰《しっくい》の壁を長くそびえ立たせ、藍色の屋根には大小様々な花たちが乗っていて花畑のように見える。これらは|江陵宁《こうりょうニン》氏の術でもあるが、実際に触れることもできる珍しいものたちだ。|宁麗文《ニンレイウェン》は口で聞いていたからこそ知ってはいたが、実物を見るのは初めてだった。  心の底から興味と感嘆の声を漏らしてただただそれを見上げ、瞼を閉じて明日の|華伝投《かでんとう》の華々しい光景を妄想する。瞼を開けてから口を弧に描いて一歩踏んで舞台の壁に手をつけて、何度もそれを愛おしそうに撫でた。  「明日、ここに入るんだ……」  |肖子涵《シャオズーハン》は彼の背後に立つ。|宁麗文《ニンレイウェン》は笑みを絶やすことなく振り返った。  「|肖寧《シャオニン》、今更だけど緊張してきちゃったよ」  「なぜ?」  「なんでって、明日は|華伝投《かでんとう》にやっと参加できるんだ。……この十八年はずっと外に出ることを夢見てきた。私が生まれつき身体が弱かったことは知ってた?」  「知っている」  「なら話は早い。昔から病弱なもので、毎日は咳だったり頭痛だったり発熱だったり、時には吐きまくったり……そりゃあ普通の人なら考えられないぐらいの病状が毎日続いてたんだ。けど、整った食事と定期的な投薬、睡眠もちゃんと取って過ごしてたらこんなに元気になっちゃってさ。今は一回も風邪とかひいてないんだ。当たり前なんだけど、やっぱりこういうのは大事なんだろうね。それから──十六歳の頃かな。少しずつ身体が丈夫になってきたってことで、世家会に出席する話が出てさ。せっかくなら出ようって思ってあの日まで生きるのに必死だったよ」  話せば話すほどややこしくなってきたことを感じながらも、徐々に顔を赤くしながら勢いよく最後まで話し終える。|肖子涵《シャオズーハン》はその間も何も言わず、|宁麗文《ニンレイウェン》の話に耳を傾けていた。つい彼の黒色を見てしまった|宁麗文《ニンレイウェン》は勢いよく話したまま熱くなる顔をよそに早口になりすぎてしどろもどろになっていく。  「あー、えっと、つまりだ、その、い、今まで外に出なかった人間が急に出たらいろんなものに興味を示してしまうし、なんでも欲しがってしまう。そういう人がいることだけは分かってくれ!」  「分かっている」  |宁麗文《ニンレイウェン》は口を開け、何度目か分からない真っ赤な顔をしながら微苦笑を浮かべる。まだ気恥ずかしいところではあるが、|肖子涵《シャオズーハン》はそれを気にはしていないように見えた。  「……そう? ならいいや」  自身の手で自分の顔に引っ付いている熱さを取りながら彼から顔を背けて目の前の舞台を見る。  目の前の白い壁は何十年、それこそ何百年も前からあるのだというのに純白に輝いて眩しく見える。見上げれば屋根より少しはみ出た箇所から花が見えていて今にも落ちてしまいそうだ。少しばかりの期待に胸を踊らせながら、しかし若干の不安と微かな妙な感情も交わる。  「まだ解散まで時間がある。飯でも食おう」  |肖子涵《シャオズーハン》が彼に声を掛ける。また振り返った|宁麗文《ニンレイウェン》も頷いて彼の隣に並んでその場から離れた。    日は沈み辺りは薄暗くなる。一つの屋台が灯りを点けたのを皮切りに次々と空の下が明るくなる。その橙色の灯りは多くの藍と小さい橙の中で柔らかく風に揺れていた。子供たちは親に呼ばれて素直に家に帰り、若い者たちはこれからだと躍起になって町を練り歩く。|宁麗文《ニンレイウェン》も|肖子涵《シャオズーハン》も例に漏れないが、初めての町に入った|宁麗文《ニンレイウェン》は昼頃よりこの光景に心を弾めていた。  二人は|一盞茶《いっさんちゃ》もしないほどの時間まで食事処を探して見つけたところで中に入る。そこは年季はさほど入ってはないが、この時刻だからか繁盛していた。店員に案内され通された座敷に座り、何もかも目新しく辺りをきょろきょろと頭を動かす|宁麗文《ニンレイウェン》に|肖子涵《シャオズーハン》は彼に見られないように小さく口元を上げる。すぐに|宁麗文《ニンレイウェン》が彼を見て、口元を正した|肖子涵《シャオズーハン》は適当に注文を店員に告げて出された茶を小さく飲んだ。  「すごいな。ここはこんなに人がいるんだ。夜だからかな?」  「そうだ。ここは初めてだが、他のところではたまに噂話や情報も手にすることもある」  「|邪祟《じゃすい》のことか?」  |肖子涵《シャオズーハン》は頷く。  「半年前に起こった|凶鶏《キョンチー》事件を皮切りに多くの|邪祟《じゃすい》が出現した。|凶鶏《キョンチー》以外の他の|邪祟《じゃすい》が活発になってきているんだ。ここ数ヶ月の間でも少なくとも三十もの依頼と|怨詛浄化《えんそじょうか》を進めている。昨日や一昨日もその|怨詛浄化《えんそじょうか》に行っていて、中々他の依頼にも手をつけられていない」  |宁麗文《ニンレイウェン》はその事実に面食らう。  「|世長会《せちょうかい》でもその話は出てなかったから知らなかった。最近兄上が家を空ける日が多いと思ったんだ。でも、昨日や一昨日も任務に行ってたってことはまだたくさんいるってことだろ? きっとどこかで漏れがあって実害とか出てもおかしくないんじゃないか?」  「それを防ぐために今は|秋都漢氏《しゅうとカンし》が動いて、各世家の管轄内を覆う門と塀を建設している」  秋都漢氏は|江陵宁《こうりょうニン》氏の四百里も西に存在する世家であり、彼らは様々な建築方法を生み出した親でもある。二年前まで出なかった|邪祟《じゃすい》に頭を抱えた各世家の宗主たちは少しでも被害を抑えるようにと議論を重ね合わせ、|秋都漢《しゅうとカン》氏の宗主の|漢博龍《カンハクリュウ》が案を出したのだ。  しかし、|秋都漢《しゅうとカン》氏の管轄外の他世家の者たちからはその案に不満を抱く者も少なくはなかった。それは各世家からの令を敷かれても尚、「なぜ|秋都漢《しゅうとカン》氏に壁を造らさなければならないのか」「自分たちでも対処なりなんなりすればいいのに、なぜ他世家の手を借りなければならないのか」「うちの世家の宗主はこんなに無能だったのか?」などの不満が治まることはなかった。挙句の果てには一部からは暴動が出てしまう始末で、そこは治める世家によって鎮まったことではあるが、どうしても簡単には通ることはなかった。  |肖子涵《シャオズーハン》による説明の途中で料理が卓に運ばれる。彼は箸を手に取って再び口を開いた。  月に一回の|世長会《せちょうかい》の直後の宗主同士の対策会議にて、次に自分たちの世家の住民に対する方法について再び意見が飛び交い、最終的に|江陵宁《こうりょうニン》氏の宗主の|宁浩然《ニンハオラン》が代表となって全区域に出向かって地道な通告令を敷いていた。この話は|宁麗文《ニンレイウェン》も出席しているので知ってはいるが、|肖子涵《シャオズーハン》のように詳細までは知ることはなかった。  「なんで私の知らないことまで知ってるんだ?」  |肖子涵《シャオズーハン》は|宁麗文《ニンレイウェン》をちらりと見てから鹿肉の煮込みを口に運んでそれを咀嚼して飲み込む。  「父上から聞いた」  |洛陽肖《らくようシャオ》氏はどの世家よりも一番長く歴史があり、彼の父でもあり現宗主でもある|肖関羽《シャオカンウ》は十九代目だ。この世家は|江陵宁《こうりょうニン》氏ととりわけ仲が良く、特に宗主同士の|宁浩然《ニンハオラン》と|肖関羽《シャオカンウ》は座学時代からの友人だった。  しかし、不思議なことに彼らの子供たちは交流する機会は全くなく、特に三男である|肖子涵《シャオズーハン》だけはそれを避けていた。その理由は本人の口から聞くことはできず、はっきりとしたものは分からない。|世長会《せちょうかい》の時でしか分からないが、互いの父親同士の仲も聞いていた話とは違う異様な雰囲気が出ていたので、|宁麗文《ニンレイウェン》は何があったのか分からないし、知ろうとしても「お前には関係のない話だ」とはぐらかされるのがオチなので聞かないことにした。「だった」という話だけなので、何かしらあったのだろうと勝手に決めつけて何も言わなかったのだ。  「そういえば、半年前の|世長会《せちょうかい》には出席したっきりで次からは出てなかったよな? 君の兄上も出てなかったし顔も知らないけど。それもやっぱり|怨詛浄化《えんそじょうか》の依頼が来たからか?」  「違う」  「違う? じゃあなんだ?」  「単に行きたくなかっただけだ」  「……なんだそれ……」  「あんな老いぼれ共の集会に顔を出したくないんだ。|宁巴《ニンバー》も知っていると思うけれど、何かと俺たちに意味の分からない任務を押しつけたりするだろう。だから行きたくない。兄上もそれがあってわざと出席していないんだ」  「宗主の子供の中で君たちだけ出てないぞ……肖宗主の気持ちにもなってくれよ……」  「父上も俺たちの考えていることを分かっている。だから行きたくないし行かない」  「……」  何度も「行きたくない」という言葉を発するほどに、彼の|世長会《せちょうかい》に対する不満が大きいことが伺える。|宁麗文《ニンレイウェン》は目をぐるりと回して溜息を吐いた。  普段は|洛陽肖《らくようシャオ》氏の宗主、|肖関羽《シャオカンウ》とその長男は出席しているがごく稀にその長男が出られない代わりに|肖子涵《シャオズーハン》が出席をしている。決して強制されているわけではないが来ては飯を食い、すぐに帰るような男だった。|洛陽肖《らくようシャオ》氏に関しては|肖関羽《シャオカンウ》は必ず出席するが、その子供たちは出ないことが多い。|宁麗文《ニンレイウェン》が出席し始めたその月からは長男も出ない月が長く続いていた。  思い返せば、|宁麗文《ニンレイウェン》が出席した月の中には数度各世家の子供たちに|辺鄙《へんぴ》な場所への警備や意味のわからない捜索願いなどの無茶な問題を押しつけられていたこともあった。そういうものなのだろうと印象を最初は受けていたが、確かにその度に彼らは死んだ魚のような目や、どこか遠い目をするように半ば諦めた様子で受けていたのだ。  (私が知らないだけで、皆苦労してきたんだな……。そりゃあ誰だって変なところに行きたがらないし、まだ若くて力のある奴に任せるだなんて、承知も何もないよ)  |宁麗文《ニンレイウェン》は自分より一回りか二回りも上の年齢を持つ大人たちに溜息を吐きながら食事を進める。しばらくしてふと箸を動かす手を止めて顔を上げる。  「|肖寧《シャオニン》」  「ん」  「あの時、君は報告を父上の前でしてたよな? 会合が嫌いなのにどうして皆の前に出たんだ?」  その問いに|肖子涵《シャオズーハン》は最後の一口を飲み込んで箸を置いた。しかし、何を言うわけでもなくその場に沈黙が訪れる。  「|肖寧《シャオニン》? あれ、聞いてる?」  「静かに」  |肖子涵《シャオズーハン》の人差し指が自分の口元に立つ。|宁麗文《ニンレイウェン》もそのまま黙って口を噤んでしまう。  「そういや|華伝投《かでんとう》で思い出したんだけど。これは嫁から聞いたんだが、明日はもう一人の息子が出るらしいんだって」  |宁麗文《ニンレイウェン》の後ろから屏風を隔てた男二人の談話が|耳孔《じこう》に飛び込み、瞬きをしてから振り返る。顔を彼と屏風の向こうへと右往左往と動かすが、|肖子涵《シャオズーハン》は人差し指を拳の中に丸めて卓の上に置いていた。  「まさかあの宗主にまだ息子がいたとはな。てっきり、若様と|青鈴《チンリン》様だけだと思ってたぜ。あの二人だけ|華伝投《かでんとう》に出てるからな。全く知らなかった」  「噂によると去年まで外に出なかったらしいぞ? こりゃあ世を知りたくもない相当な引き籠もりだろうよ。いくつかは知らないが、急に俺たちの前に出るなんて……父親に怒られて渋々出るってもんじゃないかな。どんな奴かは知らないが、明日はきっと悪い意味での騒ぎになるんじゃないか?」  二人の男たちの笑い声に|肖子涵《シャオズーハン》の眉が微かに顰め、下唇もよく見ないと分からないが、ほんの少しだけと噛んでいた。  |宁麗文《ニンレイウェン》は父親である|宁浩然《ニンハオラン》が令を敷いていることは兄から聞いたものの、中身までは知らない。この話の内容だと、肝心の内容まで通達されていなかったか、はたまた彼らが詳細まで知ろうとしなかったかのどちらかになるだろう。|宁麗文《ニンレイウェン》は真実と全く異なる噂を聞いて渋い顔をしながら振り返った身体を戻して、飯を急いで食べ終えてから茶を飲んで瞬きを繰り返す。  「はは、それはある。けど、|宁《ニン》宗主も|宁《ニン》宗主だ。二人目の息子もいるのになんで今まで出さなかったんだ? 何か後ろめたいことでもあったとか? もしかして、夫人の他に愛人でもいたとか? だとしたらその次男坊はか──」  「愛人」という言葉に続いたその先に|肖子涵《シャオズーハン》の拳が卓に落とされ、店内に店一番の重く大きい音が鳴り響く。茶を飲んでいた|宁麗文《ニンレイウェン》と彼の後ろで直前まで話を交わしていた男たち、そして他に食事をしている客や店員までもがその音に驚き、瞬く間に静寂へと化した。  「し、……|肖寧《シャオニン》?」  |肖子涵《シャオズーハン》は立ち上がって|宁麗文《ニンレイウェン》の後ろの屏風を隔てた向こうにいる男たちの元へ歩を進める。この時の彼の顔はこの世とは思えないほどの憤りに満ち溢れ、額に青筋を浮き上がらせていて、周りの空気を凍りつかせるのに時間は掛からなかった。目の前にいる大男に男たちは顔面蒼白になり口を鯉のようにぱくぱくと動かしながら見上げる。その口たちからは何も言葉を発さなかった。いや、『恐怖によって出せる余裕がなかった』が適切だろう。  「貴様、今、彼を何と呼ぼうとした?」  「へ、えっ……」  「何と呼ぶつもりだったかをここで吐け。返答次第ではここで殺す」  |肖子涵《シャオズーハン》の手に鞘が触れ、そして上へと伸びていく。柄に指が添えられたところで「まずい」と察知した|宁麗文《ニンレイウェン》は焦って立ち上がり、その場で怒りに身を任せんばかりの彼の剣に触れた方の腕を引っ張る。|肖子涵《シャオズーハン》は咄嗟の行動に目を見開いて柄から手が離れたところで身体を強ばらせた。  「す、すみません。この人……今ちょっと機嫌が悪いみたいで。もうすぐ出るのでお気になさらないでください。店員さん、お金はここに置いておきますね! ほら、出るぞ」  「でも」  「いいから出る! 分かった?」  |肖子涵《シャオズーハン》は|宁麗文《ニンレイウェン》の顔を見て小さく息を吐く。怯える男たちを強く睨みつけながら離れ、|宁麗文《ニンレイウェン》に腕を引っ張られながら店を去った。   食事処から少し離れた道を歩いて立ち止まる。|宁麗文《ニンレイウェン》は|肖子涵《シャオズーハン》の腕を離して腕組みをした。  「あのさ、|肖寧《シャオニン》。ああいう話題が出たのは私もびっくりしたけど、いつか言われると思ったんだ。そりゃ全く外に出てないと引き籠もりだとか、外に関心がないだとか言われるのは当然だよ。私もそれぐらい分かってた。でも君まで真に受けないでくれよ。彼らも悪気があって話してたわけじゃないんだ」  「違う」  「また違う? 今度は何が?」  「あいつらはあなたのことを隠し子と呼ぼうとした」  |宁麗文《ニンレイウェン》は予想外の答えに拍子抜けする。組んでいた腕を離して腕をぶら下げた。  「そこまで気にしてなかった……あっ、父上は母上一筋だから隠し子じゃないよ? 私はちゃんと母上から生まれたからそれは断じてない! 本当だよ?」  |宁麗文《ニンレイウェン》の言葉に|肖子涵《シャオズーハン》の肩の力が抜ける。先程まで憤りを露わにしていた彼は瞼を伏せて息を吐いた。|宁麗文《ニンレイウェン》は彼のその様子に逆に困ってしまい、懐から扇子を取り出して顎先に先端をつけて唸る。  (私、なんか変なこと言ったかな。別に気にしたことなかったっていうか、最後まで聞いてなかったから……そもそもの話、私が出てくるとは思わなかったしな)  首を傾げる|宁麗文《ニンレイウェン》に|肖子涵《シャオズーハン》は躊躇いがちに瞼を開ける。  「もう戻ろう。|宁雲嵐《ニンウンラン》殿たちが心配する」  踵を返す彼に|宁麗文《ニンレイウェン》は扇子を持ったまま、少し駆けながら彼の後ろを追った。    その後は何事もなく、言葉をそれぞれ交わしながら|江陵宁《こうりょうニン》氏の邸宅に着いた。|肖子涵《シャオズーハン》は|宁麗文《ニンレイウェン》を門の前まで送って軽く|拱手《きょうしゅ》をして背中を向ける。  「あ、|肖寧《シャオニン》。待って」  |宁麗文《ニンレイウェン》は彼に声を掛けて引き止めて顔を向けさせる。  「明日、また迎えに来てくれないか? 私一人でじゃ町に行くと買い物ができないからさ」  閉じたままの扇子を顔の横で振って少し笑う。|肖子涵《シャオズーハン》は彼に身体を向けて小さく頷いた。  「分かった。それまでに間に合うようにする」  「うん。帰りは物騒だから気をつけて」  |宁麗文《ニンレイウェン》は彼に向かって|拱手《きょうしゅ》して背中を向ける。すると突然門が開いて中から|青鈴《チンリン》が飛び出した。  「あ、|麗文《レイウェン》。|肖子涵《シャオズーハン》さんは? まだいる?」  「|青鈴《チンリン》? まだ外にいるけど」  |青鈴《チンリン》が|宁麗文《ニンレイウェン》の脇を通るとすぐに|肖子涵《シャオズーハン》を見つける。そのまま彼の元へ寄って|拱手《きょうしゅ》をした。  「|肖子涵《シャオズーハン》さん、もうこんな夜更けですから、家に泊まってください。明日もここを見てまわるんでしょう?」  「はい。しかし、そこまでもてなさなくても結構です。近くの宿に泊まるつもりですので」  「いやいや、最近物騒ですから。それに宿に泊まるって、今更遅いですよ。だからうちに泊まってください」  「平気です。そこら辺の|魔《ま》や|妖《よう》には負けませんので」  「|麗文《レイウェン》! |肖子涵《シャオズーハン》さんのこと止めて! 引きずってでもいいから家に入れて!!」  押し問答を繰り返して頭にきたのか、|青鈴《チンリン》は|宁麗文《ニンレイウェン》を大声で呼ぶ。|宁麗文《ニンレイウェン》はしばらく唖然としていたが、ふと我に返って眉を顰めながら片頬をぴくぴくと動かす。  (家に入れてって? さっき別れの挨拶をしたばっかりなのに?)  |青鈴《チンリン》は彼を睨みつけながら急かす。|宁麗文《ニンレイウェン》は従わないとその後のことを思うと憂ってしまい、門から離れて二人の元へ走った。  「ですからお構いなく……」  「ダメです。せっかくここまで来たんだから泊まってください。兄さんがあなたの分の布団を用意してるんですから」  「兄上が? なんで布団まで用意してるんだよ……」  |宁麗文《ニンレイウェン》は頭を振って仕方なしに|肖子涵《シャオズーハン》の背中を軽く押す。|肖子涵《シャオズーハン》は彼のその行動に少し目を見開いて押された背中をわずかに強ばらせた。|宁麗文《ニンレイウェン》は何も知らずに彼の顔を覗き込む。  「だって。言うこと聞かないと怒られるのは私なんだ。今日だけでもいいから泊まっていってくれないか?」  苦笑を浮かべる|宁麗文《ニンレイウェン》が彼に耳打ちをして、|肖子涵《シャオズーハン》は彼の言葉を聞いて諦めたように「分かった」と溜息混じりに返した。  三人は門の中に入って|肖子涵《シャオズーハン》を客室へと通す。向かう廊下の中で曲がり角から布団を持っている|宁雲嵐《ニンウンラン》と会った。  「ん、おかえり。布団持ってきたぞ」  「兄さん。ありがとう」  「これからどこに行くんだ? 客室か?」  「当然でしょ」  |青鈴《チンリン》が頷く。しかし、|宁雲嵐《ニンウンラン》が気難しそうな、嫌そうな表情を浮かべた。  「客室には父上と知らん奴がいる。|肖子涵《シャオズーハン》殿をそこに寝かせるわけにはいかないだろ」  「知らん奴?」  苦い顔をしながら頭を振る|宁雲嵐《ニンウンラン》に、|青鈴《チンリン》と|宁麗文《ニンレイウェン》が首を傾げる。|肖子涵《シャオズーハン》は瞬きをするだけだったが、三人の視界の下、自分の拳を握り締めている。  「無理に見るのも聞こうとするのも嫌そうだったから見なかった。とにかく客室はダメだ。別のところに泊まらせるしかない」  「だったら|肖子涵《シャオズーハン》さんはどこに泊まらせるの?」  |宁雲嵐《ニンウンラン》が顎でどこかを指した。それを|青鈴《チンリン》と|肖子涵《シャオズーハン》がその先を追う。その終着点には|宁麗文《ニンレイウェン》がいた。  彼は三人の顔をそれぞれ見て後ろを向くが誰もいない。瞬きをして段々と状況を掴んで、|宁麗文《ニンレイウェン》は目元をぴくつかせながら自分の指を顔に向けた。  「……私!?[#「!?」は縦中横]」