第二章 花の想い話
八 復興活動
「なっ……!?[#「!?」は縦中横]」
宁麗文はあまりの光景に思わず口を開けてしまう。唐突な出来事に身を硬くすることしかできず、また次の札を出す余裕もない。
(しまった、さっきの光か!)
思考では分かっているものの、瞬時には身体は動けない。
──万事休す。
宁麗文はその言葉だけを思考にねじ込みながら両腕で受け身の体勢を取り、瞼を閉じた。そして、率先と遅く数匹の餓蝗が宁麗文の腕に触れる瞬間──。
突如、宁麗文の手首に掛かっている腕輪から眩い光が飛び出した!
その光は強く、閉じた瞼を開けていられない。餓蝗のけたたましく鳴る羽音が炎に焼かれる音を鳴らして掻き消え、光は次第に小さくなり、そして再び暗くなる。宁麗文はおそるおそる瞼を開けて腕を下ろす。そこには一瞬にして塵になった邪祟たちの塵が落ちていた。
「宁公子!」
唐秀英が彼を呼びながら駆け寄る。暗がりでも分かるほどに青い顔をしていて、とても慌てた様子で宁麗文の周りを回る。
「お怪我は? どこか痛むところはありませんか? ああ、すみません、僕としたことが、すぐに外に出なければ……」
「と、唐公子」
唐秀英は頭を抱えてその場にへたり込む。彼の頭を見下ろし、瞬いてからすぐに膝をついて彼の肩を二回叩く。唐秀英はその少しの振動で頭を上げた。
「唐公子、私は無事です。父上からもらった腕輪が護ってくれたんです」
「腕輪……昨日の言っていた物ですか?」
「はい。とりあえず戻りましょう。休まないと明日に響きます」
宁麗文は立ち上がって蹲っている彼に手を伸ばす。唐秀英は彼の手を取って立ち上がった。
日が昇った二人は簡単な朝餉を済ませて昨日の汚れた姿のまま外へ出る。最初は畑へ向かって様子を確認し、まだ芽は出てはいないが何も異常がないことを見てから民家が集合している大通りへ向かう。朝になっていても町の中は活気がなく、一向に吹き荒れる風の音だけが耳朶を|啄《ついば》む。青年二人は二手に別れてそれぞれの住民の安否の確認をしていった。
「おはようございます」
風で軋む古くなった戸に手の甲で軽く叩いてなるべくはっきりと声を掛ける。中からの返事は当然なく、虫食いや強風によって裂けてしまった穴が空いている箇所からそっと覗く。薄暗いが、中の奥に微かな動きが見られた。
「すみません、お邪魔しますね」
戸をゆっくりと開けると錆びた|蝶番《ちょうつがい》が折れて力尽きたようにぐらりと傾く。
「うわ!」
宁麗文は咄嗟に戸の両端を掴んで音を立てないように壁に掛ける。一息ついてから中を再度覗くと、一人の女が宁麗文に怯えているのだろう、小刻みに震えながら枝のように細い腕を前に出して身構えていた。
やや日焼けをした頬は酷く痩け、横にまとめている茶髪に艶がない。当然の如く焦げた茶の双眸にも光が見られない。暗がりではあるが光がなくとも分かる通り、彼女は死んだ骸とも同然だった。
女の幼そうに見える顔つきや身の細さからして宁麗文とほぼ同じかやや下の年齢だと伺える。彼女は身体を震わせながら声を出していない。その怯えように宁麗文の胸の奥が針に刺されたかのように痛んだ。
(こんなに酷く痩せてるなんて。餓蝗は……どれほど被害を出したんだろう)
頭を振って安堵させるように笑みを浮かべる。
「初めまして。私は江陵宁氏の次男、宁麗文です。今日はあなたたちの安否確認に参りました。昨日はいきなり覗いたりしてごめんなさい」
宁麗文はなるべく声を高く、女の目の前で片膝をついて拱手をする。彼女はそれに一度身体を大きく震わせて更に身体を縮こませる。
「私たちはあなたたちの町の復興のお手伝いをしに来ました。元通りになれるまでしばらく滞在いたします」
腕を下ろすと生気のない女の目から涙が一筋流れる。何か言いたげに口を震わせていたが、おそらく声が出ないのだろう、何も言えないままでいた。宁麗文は袖口から小さな|瓢箪《ひょうたん》を取り出して彼女に渡す。女は震える手でそれを受け取ってちびちびと口に入れる。それはゆっくりと味わっているようで、次第に涙を零して嗚咽を漏らしながら全て飲みきった。
「あ……あ、あり、がとう……ござ、い……ます……」
「どういたしまして。とりあえず、身体は痛みませんか? 立てますか?」
一度立ち上がって手を差し出す。その手を見上げた女は少し唾を飲み、おそるおそる取ってみる。宁麗文は優しく握って彼女の背中に手をまわして支えながら立たせた。栄養が枯れていたのだろう、女の身体がふらついてしまい、宁麗文が咄嗟に抱えるように受け止める。
「歩けますか? 眩しいですが、外に出ましょう」
女は頷いて宁麗文に支えられながら一歩一歩進み、戸のない出入り口から出る。いつぶりなのだろう、しばらく見なかった陽の光に照らされた彼女は瞼を痙攣させて小さく息を荒らげる。宁麗文は慌てて今にも倒れそうな彼女の身体を支えた。
「そういえば、名前を聞いていませんでしたね。なんと呼べばいいですか?」
「|可馨《クァシン》……可馨です」
「可馨さん。ここから広場まで歩きますが、大丈夫ですか?」
「はい……」
宁麗文と可馨という女は広場までゆっくりと歩を進めていく。着いた先はやはり、どこの場所とも変わらない凄惨なものだった。
強風に煽られ折れてしまった屋台の木材が辺りに散乱し、所々に竹細工や仮面などが散らばっている。それには虫食いによって一部分が欠けていたり、ただの竹の棒のみになっているものもあった。
他にも布地が破れて繊維が剥き出している部分が見える。端々に焦げているような痕があるのは、おそらく餓蝗を殺すために火を使ったのだろう。また、屋台だけでなく一軒を携えていた店の中もまた同様だった。
可馨は瞼を伏せて眉を顰め、食いちぎらんばかりに下唇を噛んでいる。彼と繋いでいる手は震えを止めることもせずに強くなっていく。宁麗文は俯いている彼女を一瞥してから辺りを見回す。どこも木片や布地が散らばっていてとても座れたものではないが、やっと見つけた比較的崩れていない石段に座らせた。憤りと無念に震えている可馨の前で再び膝を地につけて彼女の両手を自身の両手で優しく包む。
「お辛いかもしれませんが、しばらくここで待ってください。今日は日差しが強いので、もし耐えきれなかったら店の中や日陰のある場所へ動いてください」
可馨は顔を上げた。
「あ……宁公子は、どちらへ……?」
「他の方の確認をしてきます」
彼女は目を丸くして、宁麗文の手を振り払うこともせずに肩を竦める。
「……もう、ほとんどいません。私と、|紅花《ホンファ》と、|阿晴《アーセイ》と|敏《ビン》お爺さん……他もいますけど、生きているかは、分かりません……男の人はみんな、外に連れていかれて。ここにいるのは皆、女の人か子供、そして年を召された方だけです」
「なぜ男性だけ連れていかれたのですか?」
可馨は口を噤んで首を横に振る。きっと餓蝗の他にも問題があるのだろう。
「そうですか……」
宁麗文はゆっくりと立ち上がって彼女を見下ろす。
(これ以上可馨さんから聞くのは無理だろうな……きっと何も分からないだろうし、他の人に聞いた方がいいか)
下がりかけていた口角を再び上げて彼女に声を掛ける。
「行ってきます」
安心させるように微笑み、可馨から背を向けた。
しばらく戸を叩きながらまわって行くが、どこもかしこも空き家のようだった。家具が散乱していたりそもそもなかったりと状況は凄惨ながらも様々だった。確かに男はどこにもおらず、女子供、そして辛うじて生きている男の老人のみだった。宁麗文が見つけて保護した人数は可馨を含め八人だった。
残っている住民を時間を掛けて全員広場へ集める。同じ頃に唐秀英も一人の少年をおぶりながら広場に戻ってきていた。彼が見つけた住民も含めると十五か六人ほどの数が集まっている。
「宁公子、残っている方はここで全員ですか?」
「はい。唐公子も男性がいた民家は確認できましたか?」
唐秀英は少年を降ろしながら首を横に振る。広場に集まっている残された住民を見回してから緊張感を解すために微笑んだ。
「皆さん。改めまして、僕は桂城唐氏の息子の唐秀英と申します。こちらは江陵宁氏の宁麗文殿です。皆さんはご存知だとは思いますが、僕たちは昨日からこの町の復興へ参りました。畑に関しては現在倉庫にあった種を全て植えて育てています。現在の様子を皆さんにお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
すらりと細長く白い手が真っ直ぐと伸びる。その女は可馨の隣にいて、艶のないぱさついた黒髪を上に結んで一つ垂れ流していた。微かにつり目になっているその薄い瞼の下には黒の双眸が覗いていて他の住民よりも強そうに見える。
「紅花さん」
唐秀英が彼女の名前を呼ぶ。紅花と呼ばれた女は頷いてよろめきながらもしっかりと踏ん張って立ち上がった。宁麗文に向けて細すぎる腕で拱手をする。
「宁公子、初めまして。あたしは紅花です。唐宗主に伝えたので唐公子もご存知でしょうが、餓蝗が発生してあたしたちの畑を荒らしました」
「餓蝗はいつ頃から発生したかは覚えていますか?」
「約二ヶ月ほど前です」
宁麗文と唐秀英は互いに顔を見合わせる。それほど前に被害に遭っていたのなら、どうして唐暁明は早く任務を彼らに預けなかったのだろう?
紅花は腕を下ろして一度俯き、そして顔を上げた。
「最初はあたしたちだけでなんとか撃退なり対策なりしたんです。けど……男の人たちが連れ去られてしまってからは、何もできなくなって……」
「その男性たちはどちらへ連れ去られてしまったのかはご存知ですか?」
宁麗文は可馨も知らなかった事情を聞く。紅花は眉に皺を寄せて瞼をきつく閉じた。
「分かりません。けど、他の町の人がここを訪れる日が何度もあって……その人たちと口論をしてから一人ずついなくなったんです」
「他の町? そんな話なんて一度も聞いたことないな……」
唐秀英の小さく呟いた言葉に彼女の目が見開いた。微かながらに聞こえてしまったのだろう、同時に顔がサッと白くなってその場に崩れ落ちる。隣の可馨が彼女の名前を叫びながら抱き寄せていた。
宁麗文と唐秀英はその光景に目配せをして、微かに頷く。考えられる可能性は一つしかない。
──拷問。
やはり、唐秀英の言っていた通りの事実が今回にも通ってしまったのだろう。しかし女子供を残した男たちを先に攫ったのは何か事情があるのだろうか。だが、この餓蝗という邪祟が理由であれば、真っ先に即戦力となる男たちを先に攫ってしまえば、残された女子供たちは邪祟に太刀打ちできない。誘拐を企てた他の町の民たちはそれを見計らって優先的に行動を起こしたのだろう。
しかし、これだけでも疑問は残る。本来ならば餓蝗という邪祟がここに発生したのならば、他の町にも当然現れるはずなのだ。だが、唐暁明から言い渡されたのはこの町だけであって、他の町には何も被害が及んでいない。
──ではなぜ、この町にだけ邪祟が現れたのだろうか?
唐秀英は頭の中で様々な要因を導き出す。しかし今、何も分からないままではこれと言った原因は見当たらない。頭を強く振って再び住民たちを安堵させるように微笑んで見回した。
「行方の分からない男性に関してはこちらから調査を依頼します。とにかく、今は腹を満たしましょう」
宁麗文はそれに彼を見る。
「腹を満たす? ここには何も食べるものがないのでは?」
「昨日の夜、あなたが寝たあとに伝達術で持ってくるよう頼みました。もうすぐで着くと思われますので、行ってきます」
唐秀英は眉を上げてその場から踵を返して町の入口へと去っていった。
ぽかんと口を開けたままの彼女たちに、宁麗文はただただ微笑むことしかできない。他にやることもないだろうし、唐秀英が来るまでに事情を聞いても仕方がない。
(少しぐらい休もうかな)
宁麗文はその場であぐらをかいて座る。それに彼女たちはどよめいてしまった。
「宁公子、あなたはちゃんとした所でお座りになってください」
口を開いたのは敏と呼ばれた老父だった。他の住民と同じく栄養の通っていない欠けた頬を震わせ、しわがれた頭皮からは白髪がほとんど見られない。髭はあるものの、綺麗に整えられていないので白が混じった無精髭になっている。唯一綺麗に見えるものと言えばきちんと並んでいて健康な歯だけだった。
「大丈夫です。昨夜は空き家をお借りして過ごしましたし、昨日の日中も畑仕事でこんなに汚れているんです。今更綺麗な石段に座っても意味ないですよ」
「しかし、あなたは尊い方だ。|儂《わし》らと同じ場所に座らないでください」
「敏さんでしたっけ? 私はこう見えて頑固なんです。私がこうしたいからこうしているので、どうぞお構いなく」
「は、はあ……」
宁麗文はにこにこと笑みを絶やさずに次から来る彼へ言い返す。それに困り果てた敏はとうとう何も言い返せずに黙ってしまった。
宁麗文は唐秀英が戻るまで、それまで聞いた話を頭の中で繰り返す。もちろんその内容は餓蝗の件だ。急に現れ、この町にだけ被害を及ぼす。現在に至るまでは男たちが率先して退治や駆除を繰り返していたと聞くが、それも誘拐で担い手がおらず女子供、そして敏という戦闘力には程遠い人数で為す術もない。付け加えて、この餓蝗という邪祟は三十年ほど前にも出現して以降音沙汰もなかった。
(何か原因はあるはず。とりあえず、ここの地の情報を集めてからじゃないと……唐公子が上手く聞いてくれると思うけど、私も足を引っ張らないようにしないと)
宁麗文は十七もの間、江陵宁氏の邸宅から出ることは叶わなかった。であれば、この桂城のひとつの町の事情も聞いた分しか分からない。唐秀英はまだしも、宁麗文はこの不可思議な現象に直面してしまっているのだ。
(初めての任務がこんな大変なものなんて。しかも他世家からの依頼だし……)
胸の前で腕を組みながら唸っていると馬のいななきが聴こえた。顔を上げれば唐秀英が馬と共に大きな包み袋を持ってきていた。
「お待たせしました。もち米です」
その言葉に中年の女数人が安堵の息をついた。幾ら遭ったことのない事象に苛まれてしまえば明日の飯にありつくこともできない。それが、今日だけでも食えるという事実に喜びを隠せないのだろう。痩せこけた頬でもその表情は安らぎを感じていた。
唐秀英が包んだ大きい囊を広げて大量のもち米を出す。馬に乗せられている箱には多くの椀と湯匙が積まれていた。
宁麗文と唐秀英の二人はまだ辛うじて使えるであろう厨へ行き、綺麗な水を探して二人でもち米粥を住民全員に行き渡るように多く作って椀に注いで広場へ戻って彼女たちに振舞った。
しばらく何も食べられずに生きていた可馨と紅花はそれを食べながら涙を零し、それに釣られて他の住民も鼻をすすりながら食べる。宁麗文と唐秀英は住民からのおかわりを待ちながらその様子を見ていた。
彼女たちの腹が膨れたところで唐秀英が軽めの運動の呼び掛けをする。とは言うものの、軽く歩くだけだが、それでも彼女たちにとっては困難を極めていた。何かに掴まらないと立ち上がることすらできず、周りにあった朽ちた木の柱を杖代わりにして歩く。どれほどかは分からないが、彼女たちはここまで衰弱しきっていたのだ。
「大丈夫ですよ。辛かったらいつでも言ってください。無理をしないで」
幾度も病に倒れ床に伏していた宁麗文にとって、彼女たちの気持ちは痛いほど分かっていた。何かしらの障害に|阻《はば》まれ身動きが取れず、そのまま衰弱していく経験を何度も繰り返していたのだ。今はそうではないが、あり日の自分を思い出して小さく眉を顰め、下唇を噛んでいた。
宁麗文は中年の女の手を取って足を動かさせる。半時辰ほど休み休み動き、また食事を挟む。一刻を争う事態だが、宁麗文も唐秀英も何一つ急かさせず、焦らせないように過ごした。
夕方。住民たちが食事をしている間、二人は隣に並んで夕餉のもち米粥を食べていた。宁麗文がはた、と湯匙を止めて中の粥を見る。それを横目に気付いた唐秀英が下から顔を覗き込む。
「宁公子? もう腹いっぱいになりましたか?」
「えっ?」
思わず彼へと顔を向けて、そして恥ずかしそうに少し頬を赤らめる。
「いや……違うんです。ちょっと考えごとをしてただけで」
「考えごと?」
宁麗文は頷く。
「はい。どこの町が彼らを連れ去ったのかなって」
「分かりません。分かり次第連絡をしてくれるでしょうが、特定には時間が掛かるでしょう。もしかしたら今の間にも亡くなっている方もいるかもしれません」
「……ですよね」
「でも、今の僕たちはあの人たちを元気にすることを最優先にしましょう。もちろん農作物もですが、まずは体調を万全にしてからです。彼女たちが農耕に手をつけられるまでは僕たちだけで畑仕事をしましょう」
笑顔を見せる唐秀英はもち米粥をかき込んで飲み込む。彼の食べっぷりに頷いて宁麗文もかき込み、咀嚼をして飲み込んだ。
しばらくして半年が過ぎた。最初は荒れ果てていた畑も宁麗文と唐秀英が懸命に仕事をしたお陰で多少は体裁が整い、住民たちも毎日の桂城唐氏からの食糧によって肉がつくようになった。軽い運動もこなしながらそれぞれの民家の掃除をし、大通りの屋台も崩してまっさらな状態にする。雪が降ることもあってそれで復興どころではない日々も続いていたが、今日に至るまでに多くの時間を費やした。しかし、それでも宁麗文と唐秀英はさして問題はなかった。
「ようやく皆さんも畑に手をつけ始められましたね」
宁麗文は土にまみれた手を払い落としながら言う。
「本当によかったです。このまま彼女たちに任せて、僕たちは餓蝗と誘拐の件を探りましょう。先程誘拐した町や人物の特定がなされました。こちらからも父に餓蝗の件も伝えましたので、あとは僕たちの任務を遂行するまでです」
「もう特定されたんですか? もっと掛かるものかと思ってた……」
唐秀英は目と口も弧に描く。
「はい。どうやら複数の町の人々が連携していたようです。元々この町の男女比率は著しく、男性が多くの割合でいたそうで。だから餓蝗に対して対策や撃退を女性たちにも講じることができた。しかし、彼らがいなくなってからは女性と子供、そしてあの敏と呼ばれるお爺さんのみです。そりゃあ餓蝗に対して歯が立ちませんよね」
「そうだったんですね……じゃあ彼らが戻ってくる前までに元の活気に戻さないと、ですね」
宁麗文の言葉に唐秀英も頷き、鋤の柄をぐっと握りしめた。
餓蝗は宁麗文を襲ったあの夜のみ発生してそれ以降はまだ襲われてはいない。しかし、また来る可能性があるので原因を探って徹底的に殲滅しなければならない。
その後いつ特定した町へ向かうかの日取りを決め、まだ自分たちの手が必要だろうということで二週間後ほどに向かうことを決めた。その間は桂城唐氏が詳しい調査を行い、男たちの保護を進めるという。だが、急に町から離れてしまっては住民の困惑を誘うだろう。そう考えて二人は町の長の敏の家へ向かった。
「敏さん。失礼します」
唐秀英が戸を叩くと、中から酷く嗄れた声が聞こえた。少し音の鳴る戸を開けて二人が入って、ボロボロで薄い布団に包まれている敏の姿を見る。
(まだ回復の|兆《きざ》しはないか)
唐秀英は彼の容態を見て眉を顰める。
ここ数週の間に彼の身体は徐々に弱っていた。元々初めて見た時からは随分老体だったので仕方がないとは思ってはいたが、唐秀英の中では些か怪訝な部分があった。他の老人よりも弱る速度が速すぎるのだ。
それに、数週間前から急に体調を崩していき、咳、熱はもちろん、えずき、頭痛、身体的能力の減衰などが見えた。元々敏に持病があったのかと思い聞いたが「ない」との言葉しかなく、もしや飢饉以外の衰弱が始まったのではないかと考えていた。
「僕たちは二週間後、誘拐された男性たちの救出に向かいます。少し早いですが、お世話になりました」
敏は布団から腕を出して彼の手を握る。「ありがとう」と伝えたいのだろう、唐秀英が口元を綻ばせて握り返した。敏の目が宁麗文に向けられ、彼も傍に寄ってもう片方の手を握る。
「もし……その間に、儂が……死んだら、紅花に、……それを伝えてくれ……」
「はい。伝えます。また来ますね」
敏はしっかりと握手を交わしてから頷いた。
彼の家から出た二人はそれぞれ別れ、唐秀英は畑を、宁麗文は大通りへ向かった。
着々と進んでいる大通りの復興は、それぞれ人々が最低限の生活ができる程度の店や設備が並べられている。宁麗文は人手が足りていなさそうな場所を探し、可馨と|苑《ユエン》と呼ぶ中年の女が石段の上に乗せた角材をのこぎりで切っているのを見つける。
「手伝います」
そっと可馨の持っているのこぎりを手に取ってその場で片膝を立てる。
「宁公子。ありがとうございます」
額に汗を浮かべ、腕で拭う可馨に首を横に振る。
「これも私の仕事ですから。他に切るものはありますか? 全部終わらせてしまいましょう」
「でしたらここに。あと五本ほどあります」
苑が傍に置いてある角材を地面へ転がす。どれもが長く、これを女二人が細かく切るのは困難だ。宁麗文はのこぎりを地面に置いて角材を石段に乗せて二人に押さえるよう指示する。彼女たちは彼が切りやすいように押さえ、固定された木材をのこぎりで切り落としていく。
全て切り、近くにあった数箱の籠にそれぞれの長さの木材を入れる。小さく短いものは可馨と苑が、長いものは宁麗文が運んでまだ補強が足りない場所へと運んでいく。それを何往復かして全て運び終えたところで宁麗文の腹の音が鳴った。それを聞いた二人が小さく噴き出す。
(最悪だ……この人たちの前で……)
瞬時に赤らめる顔に可馨と苑は互いに顔を見合わせてから彼に向ける。
「もうこんな時間ですもの、お腹が空くのは当たり前です。今からご飯を用意してきますね。苑おばさんは宁公子を食堂に連れて行ってくれる?」
「ええ、いいわよ。くれぐれも怪我はしないでね?」
「もう、私は子供じゃないって! 何回言わせるの!」
嫌そうに頬を膨らませて眉を顰める可馨に二人して笑う。彼女が踵を返して厨へ向かい、宁麗文は苑に連れられて食堂へ向かった。
「可馨さんはとても素晴らしい女性ですね。紅花さんと率先して復興活動に励んでいて、一切の愚痴も零さない。まだお若いのに立派です」
苑は皺が目立ってきている手で自分の頬を包みながら「あの子は事情がありますから」と口を開く。
「あの子は……可馨ちゃんは紅花ちゃんと一番が仲が良くて、それでいて皆に可愛がられているんです。公子様たちが来るまでは二人で食糧の徹底的な節制だとか、農作だとかに手を付けてくれましたし、自分たちが食べられる分を私たちに恵んでくださったりとか。あの子は……私たちに恩を感じすぎてる、良い子すぎる子なのです」
苑の目線には石段の割れ目から小さく芽を出している植物があった。それは小さくありながらも青々と生きている。彼女は足を止めて植物の前で屈んでそっと指で触れる。宁麗文は足を止めて彼女を見下ろしていた。
「可馨ちゃんはこの町の生まれではなく、違う町から移り住みました。その頃からは……」
そこで彼女は一度口を噤む。瞼を伏せてから彼を見上げた。
「……ここから先はあの子から聞いた方がいいでしょう」
「? それはどうしてですか?」
苑は見上げたまま微笑む。
「あの子は、自分の過去は自分で話したがる子なので」
彼女は立ち上がってまた歩を進める。一歩遅れた宁麗文は、首を傾げるばかりだった。
食堂に着いた宁麗文は一番奥へ通された。中には一人、二人ほどの女が卓を布巾で拭いている途中だった。苑は彼女たちに飯の時間だと知らせて厨へ向かわせる。彼女たちを見送った苑もまた、宁麗文に向き直って目を弧に描いた。
「宁公子はここでお待ちください」
「分かりました」
彼女も厨へ消えるのを見送った宁麗文は新しく作られた椅子に座って、綺麗に拭かれている卓を見る。その卓はボロボロになっていた板を取り換えたり、新しく作り直したりと様々だ。宁麗文は卓を見下ろしながらここ半年間を思い出す。
最初はボロボロに荒れ果て、どこもかしこもくたびれて枯れた風が吹き荒れるだけの朽ちていた町が、今ではすっかり見違えた。
(復興って、まだまだ掛かるものかと思ってた。けど、皆と力を合わせたら進むのも速くなるんだな)
最初は不安だったものの、桂城唐氏からの継続される食糧や人員の確保、定期的な医師による診察によって住民たちの健康も蘇った。あとは連れ去られた男たちのいる町へ出向き、餓蝗の根本的な浄化のみだ。このまま上手くいけば任務は遂行完了となるだろう。宁麗文はひとつ頷いて口元を上げながら顔を上げる。
「宁公子? なんで笑ってるんですか?」
音が聞こえなかったのか、前に唐秀英が座っていることに気付かなかった宁麗文は、驚いて声を出しながら椅子から転げ落ちてしまった。
食事を済ませ、勢いよく転げ落ちた宁麗文は腰を擦りながら空き家へ戻る。意外にも当たりどころが悪かったらしく、腰に強い衝撃が走ってしまったようだった。
(本っ当に情けない……男なのに……情けない……)
宁麗文は半泣きになりながら戸を閉めて椅子に座る。空き家の中も二人で掃除をして、必要最低限の生活を過ごせるまでの清潔感を保てている。しかし、宁麗文と唐秀英の二人は昼夜問わずに働き詰めだったので、どれだけ清潔感のある部屋でも二人の存在は異質だった。水を拝借して洗顔するなり布を濡らして身体を拭くなりしたが、やはり宁麗文は沐浴をしようか迷ってはいた。しかし、彼女たちのいる手前「風呂桶を貸してください」とは言えないし、そもそも女と男という異性の差だ。宁麗文は歳の近い青鈴と共に過ごしているからこそ分かるが、女と生活を共にするのは難しい。食事や仕事、衣食住のそのどれもが些細な違いがあるので、互いに遠慮しながら過ごさなければならないことを知っている。
(でも流石に、沐浴しないとだよな……唐公子は聞いてるのかな)
痛む腰を擦りながら卓に顔を突っ伏していると、戸が叩く音が聞こえた。
「紅花です」
「紅花さん?」
意外な訪問者に目を丸くし、我に返って戸を開ける。外にいたのはやはり、様々な種類の薬草を乗せている籠を持っている紅花だった。
「宁公子が腰を痛めたと聞きまして。中に入ってもよろしいでしょうか?」
「あ、どうぞどうぞ」
宁麗文が戸を開けながら彼女を迎え入れる。紅花は卓に籠を置いて近くにあった椅子に座り、宁麗文も続いて椅子に座る。彼女の持ってきていた籠の中には大量の薬草が詰められている磁器が入っていた。
「それぞれ効能が違うんです」
「そうなんですか?」
「はい。宁公子はなんで腰を痛めたんですか? ぎっくり腰かしら」
宁麗文は食堂での出来事を思い出しては瞼を閉じて真っ赤な顔で頭を振る。
紅花はその頃、まだ外にいて唐秀英よりも遅く食堂に入ったのだ。その頃には慌て戸惑う唐秀英に背中を擦られている、椅子に座り直して卓にうつ伏せになっている宁麗文がいた。だから彼女が宁麗文の腰を痛めた理由を知る由もない。
「あの……前に唐公子がいたことに気付かなくて、驚いて椅子から落ちちゃったんです……」
改めて理由を話すだけでも恥ずかしい以外の感情は湧かない。また赤く染める顔を自身の両手で覆って一向に彼女を見れなかった。紅花は呆気に取られたようで目を丸くするが、次第に面白さが込み上げて息を噴き出して大声で笑う。突然の笑い声に手を顔から離した宁麗文は真っ赤なままで口をぽかんと開ける。紅花は眦に溜まった涙を指で掬って笑いを抑える。
「す、すみません。笑っちゃいけないのに……宁公子もあたしたちみたいなことをするんだなって思っちゃって」
「えっ」
「ああいや、変な意味じゃないんです。あたしたち、宁公子も唐公子もずっと偉いお方でどんな仕草も作法も美しくて近寄り難いんだと思ってたので……お二人がこんなにもあたしたちと同じように接してくれて、それで一緒に仕事をしてくれてるのを見て、すごく親近感が湧いたんです」
宁麗文は自分自身の評価を直接言われたのは初めてだった。今までは家の外へ出たことがなかったので当然なのだが、今こうやって面と向かって告げられるとは思えなかったのだ。しかも、それが賞賛されるものだとは考えたこともなかった。
(そんなこと、言われるとは思わなかった。そっか、私と唐公子は宗主の息子だから……偉い方って言われるのも当然なのか)
瞬きをしてから我に返って、紅花の前で慌てて自身の胸の前で手を振る。
「わ、私たちはそんな高貴な者じゃないです。唐公子は分かりませんけど、私はただの人間なだけで。……しかも、つい最近まで身体が良くなかったものですから」
「そうなんですか? でも、今のあなたは丈夫でいられていますけど。修士様ですよね? あたしたちと違うんじゃないんですか?」
「あはは……」
宁麗文はかつて肖子涵に向けた発言を思い出す。当時はとんでもない勢いで|支離滅裂《しりめつれつ》な発言だったと自分で反省しているので、深く話そうとしても上手く言葉が選べなかった。しかし彼に言った内容の通り、宁麗文は全くの『ただの人間』だと自負している。
(まともな食事と睡眠とちゃんとした投与治療で元気になれました、だなんて当たり前なことを言えるわけないだろ。はぁ、どうやら皆、修士のことを常人よりもずっとすごい人間だと思ってるみたいだ)
宁麗文にとっての修士は、一般人よりかは能力は高いが、所詮はただの人間なのだと思っている節がある。金丹がある人間と言えども必ず寿命はあるし、不慮の事故で亡くなることもある。そう踏まえた上で宁麗文の中で修士は一般人と同じ『人間』だと考えているのだ。
「まあいいや、椅子から落ちたんですよね? 落下した衝撃であれば煎じたお茶の方がいいですね。甘草と芍薬を配合して淹れてきます」
紅花は籠の中からそれぞれ細かく粒切りになっている甘草と芍薬が入っている小瓶を取り出して袖口から古紙を取り出す。そこに二本の小瓶から半量ずつの生薬を乗せて折り目をつけて包んだ。
「少し時間が掛かりますが、お待ちくださいね」
「あ、は、はい。ありがとうございます」
「どういたしまして!」
紅花はにっこりと口角を上げて空き家から外へ出ていった。一盞茶もせずにまた宁麗文を訪れ、中身の入っている茶壺と茶器を盆に乗せたまま中に入る。卓に盆を置いて慣れた手つきで茶壺から茶を注いだ。
「はい、どうぞ。すぐには治りませんけれど、多少はマシになるかと思います」
「ありがとうございます」
宁麗文は微苦笑を浮かべながら茶の入っている茶器を持って飲む。するりと甘い味が喉を通って一瞬にして胃を温めた。一息ついた彼を見る紅花は微笑んで茶壺を宁麗文の前に出す。
「茶壺にはまだ入っていますので、全部お飲みください。夕餉はここで召し上がりますか?」
宁麗文は微苦笑を浮かべたまま軽く頷く。
「はい。このまま食堂に行くと皆さんに心配されそうなので」
それに紅花は小さく噴き出して笑う。
「そうですね。分かりました、可馨にも伝えておきます」
「お願いします」
紅花は盆をそのままにしてまた外へ出た。宁麗文は一人残された状態で空になった茶器に茶壺からまた茶を出す。甘草と芍薬の湯にふやかされた匂いが家を包んだ。
今まで何かしら病に罹っていた宁麗文は、家僕や深緑が連れてきた医師に診てもらい、即効性のある調合した薬ですぐに回復していたが、このような民間医療には経験がなかった。確かに効き目は薄いが、これはしばらく常用するためのものなのだろう。宁麗文は一発で効く薬ももちろんありがたいことではあったが、紅花に煎じてもらった甘草と芍薬の茶もありがたかった。
(やっぱり外に出ないと知らないことだらけだな。唐宗主に呼ばれてなかったらずっと分からなかった)
唐暁明のことを思い出すと「暇そうだったから」という発言も思い出して心の中をぐっさりと刺してしまう。半年も前の言葉なのに今だに忘れられることができない。その度に気落ちしてしまい、どうにも立ち上がれないのだ。宁麗文は頭を振って勢いよく漢方茶を飲み干して自分の布団へ移動する。姿勢を正して瞼を閉じて、目が覚めた頃には既に夕方に差し掛かっていた。
戸を叩く音で起き上がって間抜けな声で返事をする。
「唐秀英です」
「へ!?[#「!?」は縦中横]」
まさかの訪問者に面食らう。布団から出られずにしばらく呆然としていると、彼が戸を開けて後ろ足で閉める。唐秀英の手には二人分の食事が乗せられている盆があった。
「僕もご一緒させてもよろしいですか?」
「は、はい。どうぞ」
宁麗文は布団から出て彼と卓を囲む。また腰を悪化させまいとゆっくりと椅子に座った。
「てっきり可馨さんか紅花さんが夕餉を持ってくるのだと思ってました」
「本当は彼女たちに任せようか迷ってたんですけどね。けど、宁公子と任務をこなしてますし、僕たちでしかできない話もあると思ったので。だから代わりに持ってきました」
「なるほど……」
二人は湯匙や箸を手に取ってそれぞれの食事を摂っていく。少しした頃に唐秀英が顔を上げた。
「そういえば、僕たちがここに来て半年ぐらい経ちましたよね。宁公子はここの環境に慣れましたか?」
「? なんでですか?」
「いや、今まで江陵から出たことがなかったでしょう。いきなりこっちに任務で来たとなったら、色々と大変だったんじゃないかなって」
「ああ、まあ……」
宁麗文は箸を持ちながら苦笑する。
確かに最初は慣れない地、しかもよりによって復興という任務に放り出されてしまった。そこに滞在して半年もの時が過ぎても慣れないとの反応を出すのは難しいだろう。宁麗文は様々な方法や住民たちとの会話を重ねていって、家の中にいる時よりも生きる力を得てきている。唐秀英の言う通り、江陵から出て大変な思いをすることはあったが、それを上回るほどに喜びや楽しさを感じていた。
「最初は大変でしたよ。こんなに荒れた地域があったなんて知らなかったし、そもそも復興っていう任務を任されるのも正直言うと辛かったです。でも、可馨さんや紅花さんたちと協力して彼女たちの思う元通りの生活に戻せる手伝いができていますし、半年も経って慣れてきてもいます。きっと唐公子がいてくれるお陰ですね」
「そうですか? 僕こそ宁公子がいてくれたお陰でより任務が進んだと思ってますよ」
にっこりと笑う宁麗文を超えるほどに更ににっこりと、それを重ねるほどに眩しい笑みを浮かべる唐秀英に目が潰されそうになる。
(うっ、眩しい!)
この唐秀英という男は大変爽やかそうに見え、まるで太陽の化身かのように思える。宁麗文たちは度々見る彼の眩しい笑顔に何度も目を潰されそうになり、その度に瞼の上に手をかざして影を作るほどだった。
「そういえば、餓蝗なんですが」
声色を戻す唐秀英に宁麗文も背筋を伸ばす。
「ここ最近は全く動きが見られませんでした。宁公子はどこかで見かけましたか?」
宁麗文は汁物を湯匙で飲みながら首を横に振る。
最初で最後に見たのは宁麗文が襲われかけた初日の夜だった。それ以来、餓蝗は|忽然《こつぜん》と消えてしまったかのように全く現れなくなったのだ。これはまさか他の町に行ったのか、はたまたあれが最後の集団だったのかは分からない。本来なら喜ぶべきだろうが、二人はそう考えられなかった。
「見られませんでした。あの夜だけ現れた餓蝗が、本来なら日中でも集団なり単体なりで襲うことだって可能なのに……」
「確かに。邪祟だとは確定してますし当然夜に活発になるのは当たり前です。けれど、最初に紅花さんが『あたしたちでなんとか撃退なり対策なりした』と言っていた通り、餓蝗は日中にも出没するはずです。それなのに一切姿が見えなかった。可能性があるとしたら三つが挙げられると思います」
「三つ?」
唐秀英は食べ終えた箸を器に置く。
「一つは本当に巣がなくなって本当に綺麗さっぱり消えてしまったこと。もう一つは別の町に向かって被害を及ぼしているかもしれないこと。そして最後は誰かに寄生しているかもしれないこと」
「──寄生」
微かに目元を歪ませる宁麗文に唐秀英は微苦笑を浮かべる。
「まだ分かりません。寄生なんてする邪祟なんて聞いたこともないのでそれはまずないでしょう。けれど、前者の二つのどちらかの可能性は高いです。情報が足りないのでまだ何が原因なのかは分かりません。最後まで気を抜かずにやりましょう」
唐秀英は空になった器をそれぞれ重ね合わせ、食べ終わった宁麗文の分もまとめて盆に乗せる。宁麗文も頷いて盆に乗せられていく皿を見つめる。その時に今やりたいことを思い出した。
「あの、唐公子」
「なんでしょう?」
「風呂桶ってありますか?」
「……」
宁麗文は、どうしても沐浴をしたかった。